推しを知らない人に推しという概念について熱弁した話

hanetsuki
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アイドルとか、VTuberとかを推している人がいるということがいるのはわかるんですが、なぜ推すという気持ちになるのかわからない。なぜ金銭を払うのかわからない。という話があった。

「非常に面白いテーマだ、是非話そう!」ということになったのですが、その場に居合わせた4人の中で、推し活に近しいことをしているのは我一人。多勢に無勢とはこのことである。

改めて、自身が言語化したものを自身に定着する意味合いも込めて、テキスト化しておこうと思う。

※当時、脊椎で話していたことの振り返りであり。個人の主観が大変多く含まれています。

推すとは何か?

推すとは、「応援」であり「名前や形の無いサービス」である。

まず、私が最初に思い浮かんだのはこの二つ。応援というのは、推し活をしている人からするとうなづいてくれる人が多いのはないだろうか。

しかし今回は、推し活について理解してもらわなければならない。私は後者の「名前や形の無いサービス」というのを仮定義することにした。

飲食店に足を運んだ際に、金銭を払い、飲食をする。これは日本ではごく当たり前の行為であると感じる。

推し活は、自分にとって利益があるサービス、例えば、「夢を見させてくれる・癒される・...etc」などに価値を見出し支払っている。ということなのではないか?と話をした。

飲食店も利益がなければ経営が成り立たなくなり、店を閉めてしまう。推し活もそうだ、価値あるサービスを提供しているものには金銭がないとそのサービスを提供し続けられなくなってしまうのと同意義なのではないだろうか。

今振り返ると、推し活は金銭だけでは無いのだが...ひとまず置いておくとしよう。

古参の離脱について

「アイドルやVTuberでファンが少なかった昔は推していたのだけど、ファンが多くなった今は、推さなくなってしまった。というケースがあるじゃないですか?どういう状態なんですかね?」という話題になった。

これは、確かによく聞くケースだと思う。しかし、推す・推さないというワードは先ほどの購入とか食べるとかに置き換えられる気がする。

当時話した内容としては、ファンが少なかった時のサービスとファンが多くなった時のサービスの提供に差が出た。これは、店を大きくしていく上で仕方ない事という話をした。

私はVTuberしか知らないので、VTuberを例えに話すが、よく耳にする話だと、規模がまだ小さいVTuberを推す人に一部見られる傾向として、ライバーとのコメントなどのコミュニケーションに価値を感じている人がいる傾向がある。これが、規模が多くなってくると、全ての視聴者に対して同じ価値を提供するのは難しくなってくる。

提供するサービスの形が変わったのであればそれは、推す側も変化するのは必然的だと感じる。

例え話としては、昔はお寿司を提供しているお店だったが、店主が引退してその店を孫が引き継ぎ、イタリアンを経営することになった。今でも昔ながらの馴染みのお客さんが通い詰め雰囲気が受け継がれている。

こういうお店だった場合、近しいものを感じるのではないだろうか?

お寿司を食べたかったのか店の雰囲気が好きだったのか。この二つの比重がどちらが重いかで通うのか、足が遠のくのかは分かれる話だろう。

おわりに

推しがわからないという人に推しを理解してもらうのは非常に難しいなと感じた。

人間の数だけ考え方が異なるので、推しがわからないという人もいて当然だ、無理強いするつもりもない。しかし、推し活はいいぞ。と常々思う。

もし、共感を得られたなら、友人・知人に推し活の説明を求められた時の例え話にでも使って欲しい。

ではこれにて

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