覚えておくことが苦手だから、文を書くようになったのかもしれない。いや、それに加えて、目の前の物事を消化するスピードが人に比べて遅いからなのだろう。目の前の全てを正しく消化なんてしなくてもいいのに、ことあるごとに消化しないとどうやら息をするのが難しくなってしまうらしい。心に潜む湖が薄黒く、汚れてしまうのだということ。
だから小学校のとき、嫌なことがある度にノートに書いていた。嫌なことをただそのまま書くのではなく、架空の物語にして書いていた。物語にしてしまえば、救われるのではないかと思っていた。あるいは失敗したことを反省して次に活かすために書いていたのかもしれない。真実をもとに、そして完全なフィクションをほんのすこし混ぜて作った壮大な物語を、大切に大切に机の引き出しの中にしまっていた。ある日引き出しの中身を親に勝手に見られて、こんなものは他の人に見せてはいけないと言われた。だから、物語を書くのはやめた。物語を紡ぐのは、悪いことなのだと判断したのだろう。
次に本格的に文を書くようになったのは、カメラサークルがきっかけだった。大学に入って、なんとなく流れでカメラサークルに入ることになったのだ。たまたま一眼レフが家にあって、ノーコストで始められるじゃん!という安易な気持ちだった。写真を撮るのは楽しかった。「目の前の景色をどう切り取るか」で自分の世界を表現できるのだと知った。サークルには私の目から見ても、私より格段に良い写真を撮ることができる人がたくさんいたけれど、基本的に優劣がつけられない世界が心地よかった。正解がないって、こんなにも楽なのだと実感できた。
これもまた流れで学園祭に写真を出展することになって、キャプションという存在があることを知った。キャプションとは、「画像や写真に付け加えられた説明文のこと」で自分が出展した写真の説明(理由や背景)をするものらしい。作品にタイトルもつけた。正直今なんとつけたか覚えてないくらい、適当につけてしまった。ただ、タイトルもキャプションもつけたときの気持ちは今でも覚えている。言葉一つ一つを掬い取っていく作業が嬉しかったこと、自由に文章って書いていいのだということ。
そこからだんだんと、自分の身の回りのことを文章で消化し始めた。7年ぶりの物語、物語ではなくてエッセイを書くこともあった。日々書き溜めていたら、いつしか書くことが「私のまんなか」に来るようになった。別に今は物語じゃなくてもいいじゃんと思い立ち、何かの表現・作品に落とし込めたらいいなと短歌にも手を出し始めた。
文章を書くこと、言葉を書くことが、いつか仕事になればそんなに光栄なことはないなと祈りのような気持ちを抱きながら、今日も書いている。しかし、きっとこれは文章を書くことが好きな人間ほぼ全員が思っていることだと知っているので、精進しなければいけないし、まずは結果を出さなければならないですね。だから最近は意図的に書く量を増やし、美しい文章や憧れる言葉たちの研究を試みています。