大人になってから、正確にいうと、社会人になってから、いやいやもっと具体的に言うと、大学を卒業して、就職をしてから、「友達」と呼べる人がどれくらい、私にはいるのだろう?とふと、考えた。
小学生になったら、友達100人できるかな、
なんて歌があったけど、私の通った学校は1クラスしかなく35人。仲の良いおのが「友達」で、仲があまり良くないのは「友達ではない」という概念すらなかったように思う。仲があまり良くなくても「なんとなく友達」だった。小学校はずっと6年間ずっと1クラスだったから、「友達」のような「きょうだい」のような変な感じ。
中学になると、大きな小学校とも一緒になり、一気に5クラスになった。そうなると全員が「友達」にはなれない。気が合ったり、部活が一緒だったり、ともに時間を長く過ごしてるのが「友達」、そうでない人は「同級生」というラインがなんとなく見えてくる。その感覚は高校、大学でもだいたい同じ。
さて、大学を就職して、晴れて就職が決まり、社会人生活となった。
もちろん、一緒に働く人は、同僚であり、先輩、後輩であり、「友達」ではない。一緒に入社した同期は、あくまで同僚であり、ご飯に行ったりもしたけれど、「友達」ではないんだな。でも、なんとなく一緒にいて楽しかったら、「同僚以上友達未満」という感覚になる。
そうこうするうちに、3つ下の後輩に、私と同い年の女性が入社してきた。彼女とはそこそこ気も合ったし、一緒に山登りや温泉にも行った。会社の中では先輩・後輩だったけれど、なんとなくゆるっと気の合う友達みたい。彼女が先に仕事を辞めた後も、コンサートに一緒に行ったりして、やっと「先輩・後輩」ではなく、「友達」になったような気がした。
私は、会社以外でもプライベートの活動をいくつか持っている。
そこには、その活動が好きなメンバーが集まっている。「好き」なものが同じだから、お互いに色々な話ができたり、話がはずんだりする。年齢もばらばら、仕事も、家庭があったりなかったりも。もちろん、性格的に合う合わないってあるんだけど、同じものや活動が好きというだけで繋がっている感じがある。
でも、それが「友達」ではないんだよなって、最近思う。どちらかというと「仲間」。そして、誰かに紹介するときは、「知り合い」なんて言葉を使ってしまう。
facebookができて、つながった人は「friend」になる。直接会ったことがない人も、ちらほらいる。それでもfacebook上では「友達」だ。なんて気楽なんだろうね。これは、仕組み化された何の意味もない「友達」なんだけど。
そういえば社会人になって、よく一人で夕食を食べに飲み屋に行っていた。居酒屋というより、バーみたいな雰囲気の場所で、男性が一人で営業していた。ライスボールコロッケがおいしかったな。時々そこでご飯を食べていたら、いつの間にか一緒になる顔なじみの人ができた。年もたぶん同じくらい。仕事も、感覚もいろいろ違っているけど、じんわり楽しい時間を過ごしていた。なぜか、コンビニでお酒を買って、近くの公園で飲んだりもした。そういった時間を過ごしたその彼らとは、「友達」という感覚ができていた。
思えば、きっと「友達」って一緒にご飯を食べる楽しい時間を過ごせる人なんだろうな。上記で挙げた活動の「仲間」は、確かにそこが足りていない。一時期はまっていた山登りも、山登りだけで繋がる仲間だったけど、朝昼晩と寝食を共にした友達たち。今は疎遠になってしまっているけど、楽しい思い出たち。
最近、Xの中で見つけた言葉で「パートナーは、永遠に楽しく遊べる友達」といったような趣旨のポストを見つけて、激しく納得した。私とパートナーは年齢もずいぶん離れているけど、もうかれこれ10年近く一緒にいる。いろいろなことがあったけど、心穏やかにいさせてくれる人だ。
年齢差からいって、私に何か不慮のことがない限りは、彼のほうが先に違う世界に行ってしまう可能性は高い。そうなったとき、私はどのような状態になっているか、皆目わからない。もし、少しでも元気が出るなら、私は誰かと、または一人で外に食事に行こうと思う。