うしろめたさ

haru
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「いい大人が絵を好きで描くなんて、よくやるよなと思っている」とSNSに書いた油彩画家の方がやや強い反発を受けているらしいのを見かけた。その投稿の趣旨自体は、ざっくり要約すれば「自分は『好き』以外のモチベーションから制作に取り組んでいて、たいして好きではないことに本気で向き合うということに自分の作家としてのアイデンティティがある」といった意味に取れるものだったけれど。

経緯を詳しくは見てないので、ここでは事実関係の話じゃなくてそこから連鎖的に発生した自分の考えを書いていくんだけれど、「好きでやってること」を貶すような言葉に傷ついたり怒ってしまうのってやっぱり、好きなことをしているのにどこかうしろめたさがあるからだと思う。私もそうだったし。特にキャラクターもののイラストやマンガを描く人間はこうしたうしろめたさを抱えやすいかもしれない。うまくもないのに、お金をもらえるわけでもないのに、もういい年なのに、子供の頃に読んでいたようなマンガを描いているなんて。

このうしろめたさは人生のどこで植えつけられるんだろうなあと振り返ると、自分の場合はやっぱり学校生活とか受験勉強だったように思う。あと体感として、人が好きなことをしているのを見て厭味を言う人は少なくない。というか、慎重な人は「お世辞みたいになるから」と遠慮してあまり他人をほめないし、慎重さに欠ける人は遠慮なく他人の心の垣根を踏み越えて失礼なことや批判的なことを言う(こういうひとは、しばしばそれが親しさの証だと思っている)。結果、受け取る側はなんだか貶されたことばかりが心に残ってしまい、それがうしろめたさというかたちに凝固する。もっと直接的な、虐待やいじめなどの被害からこうしたうしろめたさを抱える人も少なくないだろう。私も子供の頃のいじめがかなり人格形成に影響した。

外国と日本を安易に比較する話はあまりしたくないけれど、でもやっぱりアメリカに来て、ここの人はとにかく他人をほめるなあと思う。他人の取り組んでいる事柄に対して、ポジティブに肯定することがマナーとされているように思う。イベントに出るともうはちゃめちゃにほめられる。もちろんお世辞で言ってたり、あんま興味ないけど社交辞令で言ってるんだなって人はなんとなくわかるけど、本当に目を輝かせて作品をみてくれる人もいる。

とはいえ、技術の高い描き手が多いので(オレゴン、特にポートランドは近辺にアメコミレーベルや映画スタジオがあるのでプロのアーティストが多い)その中で抜きんでて人々の印象に残ろうとすると非常にシビアな競争を迫られる環境だ。なので上手い人ほどほめられてもしれっとしている。ただほめられるだけのことと、キャリアにつながる実質的な実績や評価とはまた別だということがわかっているからだろう。

アメリカ人みたいにほめるのが良いのかというと、別に良いことばかりでもない。ただ、人が何かをやり始めることに対してはとても肯定的で、うしろめたさを抱えにくい環境だとは思う。

そしてすでに抱えてしまったうしろめたさは、やっぱりどこかで割り切ってしまわないといけないんだろうなとも考える。いわゆる「普通」にすることとか、人のために義務を果たすこととか、なんでもいいけど、なにかそういう圧力に対して「私はそういう期待に応えることはできません」あるいは「ここまでは期待に応えられますが、ここから先の時間は自分のために使います」という線引きというか、切断をする。そういうことを覚えないと、あまり益のない、また落としどころのないことで怒り続けてしまったり、あるいは自分のことも他人のこともひたすら呪わしくなってしまうだろう。

@haru
イラストと漫画を描いています。 harukakanata.squarespace.com