結論のないものを考える

ハル
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公開:2024/6/4

文系と理系は相容れないものとしてよく議論される。確かに両者の思考プロセスは全くと言っても過言ではない程に別で、多くはどちらかに偏りカテゴライズされるだろう。先日、理系の友人と上記について話す機会があった。友人は論理的思考を持つ所謂「理系らしい理系」だ。対して私は理系には全く縁がなく、かなり文系に偏っている人間である。こんなにも対極の特性を持ちながらよく友情が生まれたものだと驚いている。

友人も自負していたが、「結論を出したがる」というのは理系の大きな特徴の一つと言えるだろう。思考の先にいつも結論がある。逆に結論のないものを考えそのまま終わると、不完全燃焼のように感じるらしい。おそらく、「結論を出すこと」を目的として思考しているのだろう。対して、文系の多くは「思考すること」を目的として思考しているように感じる。だから、結論が出る時もあれば出ない時もある。そもそも結論など存在しないものについて考えることもある。理系に伝わりやすく言うのであれば、「結論がない」ということが結論になる場合もあると表現すれば良いだろうか。

両者の違いは実に興味深く、ここで議論が成立するのであれば非常に多面的な視点を得ることができる。無論、互いが互いの思考の違いを認め、配慮し合うことが前提とはなるが。思考プロセスまで言葉にすれば、他者がどのような過程を得てその結論に辿り着いているのか垣間見ることができる。非常に面白いことだ。違いを知り合うことこそがコミュニケーションの真髄であり、1番の魅力ではないだろうか。全て同じではつまらない。それならば一生自分とお喋りをすれば良いのだ。

一部からはどうでも良いと思われることを考えることもある。結論を出したところで何の生産性もないことを考えることもある。結論がなくふわふわとしたまま終わることを考えることもある。でもそれで良いのだ。結論を出すことだけが目的ではない。私は考えることを楽しんでいる。

@haru_moon
強いて言うなら長めの遺言です