適応機制(防衛機制)の一種なのかな。
本当は夏目漱石とか大江健三郎とかいわゆる文学と言われる本を読みたい。
という願望があったとする。
しかし、日々忙しく手軽に読める小説に逃げてしまう。本来読みたかった本は、時間もかかるし、負荷もかかるのでお手軽な方へ流れてしまう。
こういうことが大なり小なりあったりする。
上の例も自分の例ではあるけど、数学の学習をしたいと思っている。しかし、数学の勉強は時間がかかるし、認知負荷も高い。パッと勉強して手軽に快楽を得られるというよりは、2,3ヶ月ずっと向き合ってようやくなんかわかったような手応えを得られるようなものだったりする。
本当はやれば良いんだけど、短期的な喜びを得られるプログラミングの学習に流れがちだったりする。
言い訳はこうなる。
仕事でも使えるし、勉強して損はないから。
こういうことが実は気づかないものも含めてたくさんあって、本当にやりたいことが、自分によって騙されているんじゃないか。
そう思ったりする。
で、死ぬ時とかに後悔しそうだな。自分に素直になってやりたいことをどんどんやっていこう。
そう思った。