『フシギなくらい見えてくる!本当にわかる論理学』より
「木星に似た惑星のある惑星系が見つかったらしい。そこには地球に似た惑星もあるに違いないよ」
「地球に似た惑星なんてありえないよ。だったらどうしてその方角から人工電波が検出されないんだ」
自然言語において、言葉は曖昧だ。大抵いくつもの意味を持つ。語り手の複数の意味のうち、語り手に不利な意味を採用し、曲解していけばいくらでも批判することができる。
ここでは「地球に似た惑星」というのを批判者は非常に狭い意味で捉えている。(地球に似た惑星≒知的生命体がいる惑星)
論理学や言語学では寛容の原則というものがある。
これは、相手の発言が複数の意味にとらえられる場合、なるべくその相手の発言が真になるように理解する必要がある。という原則らしい。
ここでいう、「相手の発言が真になる」というのは木製のようなガス惑星ではなくて、程よい距離にある地球程度の質量の惑星という程度の意味として相手の発言を慮るということだ。
論理学の本を読んでいて上記の例に出会ったわけだけど、これは日常会話でもそうだよなーと思わされた。
発話者から見れば、基本的に相手を騙そうと思っていない限りは自分の発言が真となるように話を進めているわけで、揚げ足取りみたいに重箱のすみをつついた批判は心象が悪いだろう。
学術的な議論だけでなく、日常でもある程度厳密な議論であれば、言葉の意味はあらかじめ定義しておく必要があるのだけど、単なる日常会話でこれをやっちまってる人は多いように思う。自分もそういう危機感を持って寛容に接していきたい。