世の中「わかりやすい」が正義になりがちだと思っている。(主語がでかい)
なので、教師時代はわかりにくさをとても大事にしていた。
わかりやすさって、その概念に対して対象の人物にスッと入るようにモデリングすることだと考えることができる。モデリングである以上それは情報の欠落が起きていて、厳密性、正確性に欠くことが多い。
簡単な概念を簡単に説明することはできるけど、難しい概念を簡単に説明する場合、嘘も方便であったり、都合の良いように捻じ曲げた解釈で一時的に説明することが多い。もちろん、入口としてそれは大事なことだけど、複雑なものを複雑に理解する時間、それと相対し、咀嚼し、すごーく時間が経ってから理解できるような経験も学習を進めていく上で大切なのだと思う。
そして、そういう説明を受けた学習者は難しい概念に出会った時、わかりやすい部分をつなげて自己解釈し、わかりにくい部分を切り取ってしまいがちだと思う。これは自分の教師生活から体験的に思う子どだけど。
わかりにくいことにわかりにくいけど向き合う。
そうして獲得した知識は忘れにくいし、その積み重ねが基礎を作っていく。
なんて思っている。
わかりやすいが悪だなんて思ってないけど、わかりやすさにだけに依存するのは大変危険なのではないかな。