人類は数百万年前からいるらしい。発展を続けて数百年、結果人類は何を得たんだろう。
パレートの法則という法則がある。結果の8割は2割の構成要素によって生まれるという話らしい。全世界の富の8割を2割の人が持っているらしい。成果の8割は2割の人によって生み出されるらしい。競争原理に動かされた社会が生み出したのはみんなの幸せではなく、一部の過剰な幸せとその為の犠牲な気がする。この犠牲になっている人達は産業革命以前の社会で生きていた方が良かったのではないかとすら思える。長い時間をかけて進化したように見えて実際はそんなに良いものではないように思える。
近代化や失敗の積み重ねによって人が野性から脱却したと思いがちだが、多分違うんだと思う。それぞれの時代のルールに合わせて人は野性を発揮しているんだと思う。現代においてもそう。この野性による闘争や暴力はルールという化けの皮によって正当化され無自覚に振るわれている。この野性による混乱に対して様々な対応を積み重ねて社会をアップデートして人類は今に至る。それはつまり今この時も野性による混乱が社会のあらゆる所で発生しているはずであって、これからの歴史はそれらへのフィードバックの積み重ねになるということになる。僕らは自分の行いが野性による混乱をもたらしている行いかどうかを常に気をつけているべきなんだろうと思う。気付かないだけでそういった無自覚な野性できっと人を苦しめているし、苦しめられている。
こういった問題への対応をしていくのが国の仕事であろうが、それを構成するのも野性を持った人であり、野性の道具にされてしまっている側面もある。急進的に変化を起こしてくれるわけでもない。そうなると結局野性による闘争の中で自分自身で戦っていかなくちゃならない。こういった社会の問題を解決しようとすれば更にこの闘争に従事しなければならない。イデオロギーとその手段が矛盾せざるを得ない。
もしかしたらいつの時代もこんな風に辛く悲しいのかもしれない。近代化以前が一番幸せな時代だったのかもしれない。遠い未来が一番幸せな時代なのかもしれない。分からない。誰かの犠牲を忘れて幸せになっていいんだろうか。分からない。少しでも問題を解決するために競争するべきなんだろうか。分からない。右に行くべきか左に行くべきかも分からなくなったこの行き止まりから抜け出せるのかも当然分からない。