明日2/11に髪を切る。3年余ヵ月、約四十ヵ月の時間で腰まで伸びた髪を断つ。一貫した考えの下、高校時代から自分で髪を切るようにして切らずに3年以上伸ばして明日きる。
髪は人の精神を象徴し髪の変化は精神の変化を象徴する。儒教の言葉には「身体髪膚之を父母に受く毀傷せざるは孝の始めなり」という言葉があり、体を傷つけない事が親や先祖への態度として肯定され髪を切らない考えがあった。気づかぬ程度に徐々に伸びその長さは精神の連続性とその時間に相当する。髪を切る事、切られる事はそこに生じる不連続な変化である。誰が言ったか覚えていないが「髪は確かに自分の体だが痛みを伴わずに切り離せる」と言っていた。自身の体を切り離すことは特別でありそれ故に断髪には儀式性がある。儀式的意味を持つからこそ無意味に髪は切る事はなく、伸びればその分だけ意味がある。ペコは卓球に復帰すると決めた時に長く伸びた髪をその場で切り、明治の散髪脱刀令が布告され廃刀令が布告され侍を象徴する刀と髷が失われ時代の中で侍は消えた。髪とはそういう特別な性質を持つものであり、現代の日本においてはそこに何を見出し投影するかは個人の精神性に依存する。自身の在り様を定め自覚し精神性に合わせて個人的な文化様式が自然発生的にあるいは意図的に生まれその様式によって自身を作り上げる。髪の扱いもこの営みの中にある。この文章を書くことも儀式の準備の様なものである。
そして、明日髪を切る。