2024/01/01 母が「べーえむべー」と頓珍漢を言っている時間はまだ平和だった

のだはるか
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朝8時すぎからみんなでおせち料理の支度をして、朝食を囲んで、片付けて、各々の時間を過ごし、お昼過ぎた頃になんとなくまたみんな集まってきて、また各々の時間を過ごし、私は母を散歩に連れ出し、そしたら母が散歩中に「あの車かっこいいわよね。あれ。べーえむべー」と頓珍漢を言い出し、帰ってきたら地震が来て、もしも関東で大きな地震がきて電波もない状態になったらどうしようかと話し合い、誰はどこにいることにしてどう集合しようかと決めて、そしたら母が「前日とかに予報があったらみんなうちに来なさい」とまた頓珍漢を言い出し、みんなでおいしい給食を見て笑い、みんなで孤独のグルメを見ながら夕食の支度をして、おいしいねーと言いながらご馳走を囲み、大津波警報が大袈裟で済めばいいと願い、誰かは皿洗いをし、誰かはお風呂を沸かし、誰かは掃除をしてとみんなで片付けて、腰を落ち着けて、20:30。

もう新年のお祝いの言葉など言えないけれど、どうかどうかひとりでも多くの命が助かれ。それだけ。そうじゃない地域の人は被災地に遠慮することなく家族との時間を精一杯生きるのがいい。生きててくれさえすれば、それでもう十分なのだから。そして、大事にしろ、失う覚悟がないのなら。

自分がされてうれしいことは他人もうれしいわけじゃないし、自分がされて嫌なことを他人は案外大丈夫だったりするのよ。というようなことも思ったりした日。

今年もよろしく。穏やかで平和な一年であれ。