浅倉ルネ
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公開:2024/2/17

終焉に思いを馳せている。

たとえば隕石が降ってきたら。私の身が朽ち果てたら。眼の前の草木が根本から枯れたら。オアシスが涸れたら。南極の氷が溶けて、ペンギンたちが住めなくなったら。戦争は終わらず、無関係な人びとの命を奪い続けて、国家がひとつ消滅したら。

考えればキリのない話であるが、考えずにはいられない性分なのかも知れない。元来私はそういう人間だった。不健全と言われればそうだが、そういえばこの状態がデフォルトだったように思う。今日は自分が死ぬ直前になったら泣いてくれる人は居るのか、と考えていた。考えすぎて、泣いた。

以下、私のBlueskyでの投稿を引用する。

死にたいとかそういう話じゃなくて、ただ単に「この身が朽ちたら悲しみに暮れてくれるだろうか」と…

同性愛者で子を為せない上、同性婚も出来ないこの国で、相棒と結ばれたとしても、仮に相棒に先立たれたとして、私の最期に傍で泣いてくれる人は居るんだろうか…

-haruyasu.me より引用

私は同性愛者である。ゆえに子を為せず、相棒とも「子は持たない」という取り決め(そんなに堅苦しいものではない、理由はお互い育児が向いていない性格のため)の下交際している。そのため、現在同性婚が憲法で否定されている国・日本で暮らしている以上、最期に立ち会うことは許されないのだ。いや、それは病院によるのだろうけど、同性パートナーだと拒否されるという事例を幾つか見たことがある。

それ故、このような事態に陥った際に、私を想い泣いてくれる人など居ないのではないか、という不安に駆られた。相棒にもし先立たれたなら、なおのことだ。これはロクに交友関係を築いてこなかった私にも責任はあるが、如何せん友達の作り方が分からない。ネット弁慶であれど、オフで会うことはあまり求めていない故、近くで関係を築こうにも警戒心が先立ってしまうのだ。

生きていくうえで、人間関係はいたく大事だが、私は唐突に関係性を絶ちたがるきらいがあり、長続きしている人でも専門学生時代の友人数人と相棒くらいだ。これでは葬儀はおろか、結婚式にも十分な人数を呼べない。

友達は気付いたら出来るもの、とはよく言うが、なかなか難しいものだとつい考えあぐねてしまう夕暮れだった。きっと疲れているのだろう。

@haruyasume
備忘録 INTJ 4w5 Queer icon:廣瀬ふぶき様 本拠地:bsky.app/profile/haruyasu.me