無題

浅倉ルネ
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作成:2024/8/17
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私の信念が初めて揺らいだ。やらない善よりやる偽善。救えなかったと云うにはあまりにも傲慢な、明確な意志で"救わなかった"人の話。

その時の私は仕事中で、ゴミを捨てにいこうと会社を出てすぐのゴミ捨て場に向かおうとしていたら、付近に警官と女性が立っていた。近付くにつれ、女性が過呼吸を起こしていたのがわかった。一瞬通り過ぎてゴミを捨て、再度通りかかると、女性の呼吸状態が更に酷くなっていた。明らかにパニックを起こしている状態で、その時の引き攣った呼吸音を鮮明に覚えている。

助けるか少し悩んで、結局助けなかった。仕事があったから。

最終的に落ち着いたみたいだけれど、あれほどの酷い過呼吸を起こしたなら、しばらくは歩行も覚束ないだろうと思った。聞いてるだけで手が痺れそうだった。

何か、出来たんじゃないかと、ずっと考えている。私は幸い(?)過呼吸になった経験が幾度となくあるので、その知識を生かして女性を楽にしてやれたのではないか。背中を擦るやら、手を握るやら、出来たのではないか。

悔やむくらいなら、助ければ良かったのではないか。

然し仕事が絡んでいたのも事実で、自分の持ち場を離れた上でその現場に出くわしたものだから、自分の持ち場を無碍にすることも出来なかった。結果私は、こうしてしょうもない後悔を心の中で燻らせ、思考のループに陥り、頭痛のタネを育てて萌芽させたのである。

これがプライベートなら、全然助けていた。と、思う。プライベートであったならば。悔しい。過呼吸の苦しさは痛いくらい分かるから、何か出来たような気がしてならない。苦しい。

このような後悔を慰めてほしい訳では決してなく、むしろ非難を待っている。本当に良くないクセだと思う。悔やんだとて、事実は変わらないというのに。

@haruyasume
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