多人数の飲み会の席で何時間と話しても、結局明後日には忘れ去られてしまうんだろうかな、みたいな虚無の気持ちによく襲われる。それだけに意味のあるコミュニケーションをしたいと強く思っている。自分は印象的な話ができないタイプだし、コミュニケーションを日常の些事のように浪費してしまうのがもったいないなと感じる。
元同僚で、ここ数年で創作活動を始めた人がいるのだけど、最初その人にアドバイスをたくさんしたくなってしまって結局色々言ってしまったことがあった。今思えば、パーソナルスペースに踏み込むようなものだったと思う。穏やかで繊細なタイプの人は大好きなんだけど、前のめりにコミュニケーションしてしまって逆に壁を作られてしまうことがよくあったように思う。
なのでその元同僚には、なるべく丁寧に、一緒に気持ちを積み上げるようなスタイルで話しかけるようにしたのだった。この前創作論について話す機会があったけれど、彼のしたいことを聞き取りながら、慎重に自分の気持ちを伝えていたら彼も応じてくれて、自分の気持ちを話すことで気持ちが盛り上がったのか、ちょっと涙目になっていた。
彼も年を重ねて涙もろくなったのだろうけど、印象的な会話ができたなあと思ったのだった。
自分は言葉よりは行動が大事だと思う派だけれど、言葉を丁寧に使うべき局面がたまに現れるようだ。それが自分にとっても記憶に残るような大事な機会になる。些細な出来事への気付きや感情を積み重ねるような会話がいいのだろうな。
とはいえ自分が誰と何を話したか忘れることのほうが多いのだから、形に残す努力もしなくてはいけない。最近は大事だなと思った会話は こういう 感じの 議事録スタイルで残している。あと最近収録をやってるけれども、もう今後の人間との会話全部ポッドキャストにしてアップロードしたいくらいに思っている。