先日は春コミからさる地方の中国茶屋の東京出展に回り、知らない銘柄もいくつか買えて楽しかったが、私はやはり中国茶のメソッドについてやたら断言しすぎるタイプの人には抵抗があるなと感じた
その時お茶を淹れていた人は試飲もおいしかったので実力がある人と思うんですがたとえば初心者に説明する時に洗茶を「やるのが当然、そういうもの」と言われるのは違和感であった
これは私が尊敬する工藤先生の影響でもあるが私は中国茶には広く公衆に愛されてほしいため、いたずらに面倒な手順を勧めることでハードルを上げるのが好きではない
ただお店側が最高の状態で飲んでほしい、きちんと自分の扱っている茶葉のよさをわかってほしい、という考えになるのは商売の上でも尤もな話なので難しい
適当な淹れ方をされて丁寧に淹れたよその店の茶葉と較べられたら売る方もたまったものではないだろうという話である。
私は昔台湾の取引先がお土産にお茶を持ってきてくれた際、お茶汲みさせて申し訳ないが先方に感想を伝えなきゃいけないからとにかく淹れてみてみんなに飲ませて、と部長に言われて見よう見まねで淹れてみた時から中国茶に誘い込まれたものだが本来とにかくお茶はオシャレとか身体にいいとか以前に「おいしい」ものであり、そのおいしさは唯一無二であるし、巨大な人類の文化遺産だぐらいに思っているので、お茶を飲む人間の大半がリプトンに吸い込まれてリプトンで一生を終えることに耐えられない。いやすみませんリプトンのお茶もすごいです。だいたいあそこまでお茶というもののすそ野を広げたのがすごい。
そう、私はわりとこういう時に「すそ野を広げたい」と強く思うタイプで、それは軽く楽しむ人間が増えればその中からレベルの高い趣味人も志ある人も生まれると思うからである。まあだからといって何かしているわけではないが、とにかくハードルは「中国茶のおいしさが伝わる」範囲で極限まで下げていきたい。具体的には茶葉をマグカップの底が見えなくなるぐらいざらざら入れて熱湯を注ぐだけでも結構うまい。対戦よろしくお願いします。
23:38 追記
上記書いた後、くだんの工藤先生の文章を再度見に行ったら記憶の百倍一刀両断していて笑った 個人的には上記通り洗茶を(茶を淹れる際の姿勢として)全て否定するほどではないという気分になっています
「一煎目は捨てるの?」にお答えします https://www.asahi.com/world/china/cha/071026.html