製作者と消費者

ちょい前にみんな意外と物語を理解する能力がないって話があったけど、メディアミックスの原作改変にもその話が適用できるケースがあるような気はしている。

作品の流れがわからない人は因果関係が掴めず、作品が何を言いたいかも読み取れないため、当然「最も大事なポイント」などわかるはずもない。

つまりこれはただの能力不足という問題で、その場合は指摘されてもどうすればいいのかわかっていないことあると思うんだよな。

原作者の中ではそこは理路としては自明の理すぎるので、相手を同じクリエイターという立場でとらえていることもあり、「能力を信用」しすぎたために「なんでこうなるのか」がわからない..という戸惑いや怒りが発生してもおかしくはないのかもしれん。

ちなみに私は思い入れのある作品複数で明らかに物語の因果関係が逆転している案件にぶち当たったことがあって、しかもそれに気づいている・問題視している人がすごく少なくて戸惑ったためにこのような仮説を抱くに至ったのですが、でも私だって別にすべての作品をその精度で見ているわけもなく、それらの作品は人生での思い入れがツートップぐらいなので気になったわけで、多分スルーされているこのような事象は膨大な数にのぼるだろうな〜という感じです。

更に言うならすぐれたエンタメってあらすじなんか気にしなくても面白いんだよな、私自身あらすじや本題が理解されなくても魅力があるから何度も読んじゃってそれで段々理解されるみたいなタイプの話を書きたいと思ってるし……

何かで読んでずっと忘れられないのが、「映画でパニックが起こるシーンを描く時、観客にそのパニックの理由が充分に伝わっている必要はない。それより受け手に緊迫感や臨場感を持ってもらうことのほうがずっと重要だ」とゆう話です。多分映画に限らなくて、世の中の大半の作品はそういう作り方をされている。消費者側ならそれでいいんよ、消費者側ならね。

そういうことですよね。