路傍の草

自分がSNS上での「界隈」という単語をあまり積極的に使えない理由について改めて考えてみたが、この言葉は観測する個人によって範囲が変わってくるため認識の共通性に欠けるのと、そもそもそういったふわっとした概念に立脚した論理や問題提起などは、結局はネタ以上のものにはならないと思うからなのだった。物理的な距離が無関係なネット上の人間関係なんて、究極的には「俺とお前」しかなくないか?という気持ちがある。

まあもうちょっと妥協すればインターネットには「私&観測者の皆さん」「おまいら」というのもありであるが、それはあくまで自分目線からの話にしか使えず、受け手もそれを承知の上で拝聴するものであるはずだ。

つまり、SNS上で使われる「界隈」という単語は、どうあがいても主観に寄る話を、まるで中立視点のような論調で「そういうものがある」と表現する時に用いられがちで、その用い方を私は端的に不誠実だと感じている。なお、私が不誠実だと感じるのは、あくまで「そのような用い方をした場合」の話であることに注意されたい。

上記内容を全て承知した上で、敢えて「界隈」を、

①わかりやすさを重視して説明に使う

②一種揶揄的に使う

……といったこともできる。ただその用法を正しく理解されるとは限らず、時と場合にも多少の慎重さを要する。そんなわけで真摯さからではなく怠惰さから、私は「界隈」という言葉を敬遠している。

ここまで書いて思ったのだけどこの言葉の使われ方の違和感って、一昔前によく言われた「世間」と似てるな。集団の中の人間が考えることはどこでもあまり変わらない。

実際私はリアルでも「目に見えない派閥」のようなものが嫌すぎて、高校時代にもいつの間にか勝手にどこかのグループということになっていたが、「グループ間の不和」みたいなので放課後話し合いをしょうみたいな場が設けられた時にその人たちの前で「グループって何?私はどこにも入ってませんが…」と言い放ったのだった。次の日からあまり話しかけられなくなったが、全然関係ない人からかっこいいね!と言われたりもした。でもオタクなので現実世界がどうでもよかっただけで、これも一種の中二病である。お恥ずかしい限りです。

この付き合いたい人としか付き合いたくないという狷介な性質は大学に入ると激化してしまい、結局それで中退することになったため、これは誰かのお手本にはならない。