こんな日は東日本大震災のことをいやおうなしに思い出すよ。
ずっとインターネットの恩恵をどっぷり受けてきたけど、結局「インターネット」も、画面の向こうの相手が生きてそこに実存している、という事実そのものが吸引力になってる。人間はどこまで行っても人間を求める、それは本当だと思う。
2011年、東日本大震災からまだ数日ぐらいの頃に、BLの話と今後の不安が相まった渾沌とした空間になっていたBL雑談スレに入り浸っていた。そこで時々思い出す書き込みがある。
細かいところは全然忘れてるんだけど、確かこんな内容。
「自分は一人暮らしで、生活といえば仕事に行ってプライベートの話もせず帰って来るだけ。血縁と呼べる人はいないし、友達もいない。余震も原発も流通もどうなるのか不安でたまらないのに、コミュニケーションをとる相手がここ(掲示板)しかない。みんな話す相手がいるんだろうけど、私にはいない。家族も友達もいないから、何かあっても誰にも知られずに死ぬんだと思う。そういうこと考えてると眠れなくなる。」
みたいな。
それで私は、まだ若かったのでこんなことを書いたのだった。
「なんでもいいから掲示板じゃなくて生身の人と話した方がいい。会社の人でもコンビニの店員でもいい。インターネットにももちろん人はいるけど、今あなたに必要なのは画面の中の存在じゃない誰かと肉声で会話をすることな気がする。心配で怖くてどうすればいいのかわからないっていう話は、今なら誰とでもできるはず。みんな不安だから、変だなんて思われずにわかってもらえると思う。軽くでもいいから、とにかく誰かとしゃべったほうがいいよ。」
確かこんな内容。
今になってみると何も事情がわからないくせに偉そうなこと言ってるなと思うけど、その時はそれがすごく切実な気がしたんだよな。その人の書き込み全体から、生身の相手を求めているのに気づいていない感じがした。だからなんか、それを伝えたかった。どれぐらい伝わるかはわからない。掲示板ってそういうものだし、もう見てないかもしれないし。それから少ししてその人がまた書き込んでくれた。
「レスを見てから、ごみ捨てに行った時、たまたま近所の知らないおばさんたちが世間話してるのに出くわした。『あの…』って話しかけようとして、言葉に詰まってしまった。最初おばさんたちは怪しそうな顔してこっち見てたけど、その時自分は限界だったみたいで、どっとそこで泣いてしまって、すみません、私不安で、家族もいないし、相談できる相手がいなくて、でもどうすればいいのかわからなくて、怖いんです。って、しゃくりあげながら必死で言った。そしたらおばさんの一人が突然抱きしめてくれて、『大丈夫、大丈夫だから』って言ってくれたんだ。それからその人たちの輪に入れて、話を聞いたり話ができたりした。原発のことも流通のことも何にも解決してないけど、気持ちはずっと軽くなった。ありがとう」
そんな感じの内容だった。
あの時はうちのあたりもまあまあ大変だったし、なのに変に日常とかは続いてて、すごく独特な感じだったな。
あれから日本も世界も自分も色々あったけど、個人レベルでは東日本大震災の時の現実が歪んだ失調感、みたいなのはあれ以来(幸いにも)体験していないので、時々忘れそうになっていた。
あの人、あれからどうしただろうなあ。