水彩画をはじめた

昆布の一片
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公開:2025/12/10

最近水彩画を始めた。とても難しいし面白い。

私は何かしらの芸術を専門的に学んだ経験はないが、少なくともアクリル絵の具や粘土造形より難しいと感じた。

水彩画は変更が効かない。そして、速さと忍耐、計画性が必要に思う。

私が好きな画は基本的に線画を線と描かない画だ。平面に置いたクッキー型に色水を入れるのではなく、クッキー型らしきものがあったのだろうなという痕跡を、雨上がりに淡いアスファルを見てここに車があったのだろうと示唆するような色使いであったり、輪郭の表現が好きだ。

なんだろう、はっきりさせない部分がいい。

ここ最近、人体の構造が分からず、そして練習したにも関わらず大して成果が出ていない現状に、往々にして期待が高すぎるだけなのだが、苦しんでいた。完璧主義に陥り、ペンで丸を描いただけで線を批判する。自身に対して監査的行為をすることは決して悪い側面だけではないのだが、毎日だとさすがにしんどい。

水彩画をはじめてみたのは、そういう日々に新しい風を取り込みたかったからだと思う。もしくは単なる気まぐれ、なんとなく。やってみて思うのは色が乗るのはいいということ。気分が上がるし、完成に近づいた気になる。そして水彩画のいいと思う機能はパレットを作ってしまえば比較的とっかかりやすいところだ。絵を描くこと、白紙に慄く前にまず筆を持たなければいけないわけだが、その準備の準備を水彩画パレットは容易にしてくれる。パレット、水、筆、キッチンペーパー、適当な紙、これだけで描ける。パレットが乾いてもまた水をつければ使える、アクリル絵の具にはない、いつでもちょっと休憩を挟める余裕が生まれる。これが私には特に良かった。

水彩画を学ぶにあたり私はYouTubeを参考にしている。今の時代、色々な人が絵のHow-to的動画を出しているけれど、好んで見るのは海外の方の動画だ。単純に好みのタッチの絵というのもあるけれど、学びの雰囲気が自分に合っているのが一番の理由だ。終わらない学びに対して楽しく穏やかに皆が語っている。それは動画のコメント欄でも見られる。絵に関する動画を見ていると、どんなに上手い人でも完璧主義と対峙している。毎日この1枚を最高傑作にしようとして、結局何も描けない。上手い絵が描けないのではなく、そもそも絵が描けない。自分の頭の中には最高傑作があるのに、現実は醜い線の集合体。完璧主義は結局、特に学習の初期段階では意識を高めるより負のプレッシャーにしかならない。コメント欄には、完璧主義に陥った学習者が多々いるが、というか膨大かな、そのコメントに対する他者のコメントがとてもあたたかい。本当にじ~んとするようなコメントが多い。アドバイスはより上手にというより、よりあなたが快適に絵が描けるような助言がなされている。そして、他者の絵を褒め、認め合い、助言に感謝する関係性に溢れているように感じる。

水彩画が楽しいことを知れてよかった。

この文章には物凄く誤字があると思う。はは笑