そして正解がわからなくなるのだ

日々
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「Webデザイナー」と呼んでもらっている。

うまく行かないことばかりだけどデザイナーをやらせてもらえている。

その中で色々考えることがあるのだよ。

世の中ってとても自分勝手なもので、ギャルはみんな明るくてキラキラしたものだけで世の中が埋め尽くされるのが当然の願いだと思っているフシがあるし、オタクはアニメ絵で世の中が埋め尽くされれば良いと思っているフシがある。いつしか文庫本の表紙がアニメ絵に置き換わった時に論争があったのだが、とあるオタクの方の「売れるんだから有難がれよ」の言葉が忘れられない。和田誠が好きな私みたいなオタクも居るが所詮マイノリティなのでなんとも言えない。

オシャレなものしか認めたくない人も多い。オシャレなものを作るのではなく消費しながら自己肯定感を上げていく人たちである。デザイナーとしてはいいお客様なのでどうぞどうぞと思うが、作ってる人間を見るやいなや虫を見るような目で見ないでほしい。

余談が多いのは日頃の鬱憤のせいだ。多分。 

とにかくそういう人たちは、自分が認められないものを「いらない、ダサい」と簡単に切り捨ててしまう。

なんだけど、何故そう思うのかって考えたり、なぜそう思えるのか考えたりすると急に世界が変わって見えてきたりするもので。

ラーメン二郎は黄色地に太めのウェイトの黒文字でイメージが決まっているし、ポップ体が使われているチラシはお得を探すのにワクワクする。

東京駅は格調高く、駅ビルはオシャレにまみれている。それで良い。

そのデザインが誰かの拠り所になれたらそれで正解なのだ。そう思うと、人が作ったすべてのものを切り捨てられなくなる。

そして気がついたら正解のない世界の中で1人迷子になるのだ。