教え子のお父様が亡くなられた。1年の闘病生活の末、私との面談の朝に息を引き取られた。彼が面談を休まず、通話で話してくれたこと、彼が長男であること、彼は感情をあまり表に出さないこと、色々なことが頭を巡った。
ただ、彼が彼の中にある感情に蓋をしないように、「悲しいね…」「悔しい」「寂しい」と私の素直な気持ちを伝えた。
そして、弱った父の姿ではなく、元気だった父の姿を思い出せるよう、「仲が良かったのか」、「何をして過ごしたのか」、「どんな人だったのか」について話した。
それから、私もまだたくさん泣くことや、私の父のしょうもない話をしたりした。亡くなってすぐは実感が湧かないこと、でも、伝えたいと思ったことが伝えられないと気がつく時に、どうしようもない寂しさを感じること、だけれども、元気だった姿や楽しかった思い出を笑って思い出せる日が必ず来ること。それまでは、たくさん泣いていいこと。そんなことを伝えたかったのだ。
大学のことや就活のことはしばらく休んでも大丈夫だということ。お母様はきっと、弱っていくお父様を近くで見ていただろうから、支えてあげること。言葉をかけなくても良いからただそばにいてあげること、家事を一緒にしたり、かわりにしてあげること、特にご飯をちゃんと作って食べること、お父さんのことを思い出して話すこと、そういう「指導」をした。彼が自分の無力さに、心が折れてしまわないように。
何もしてあげられることのないことをわかっているけれど、これでよかったのかわからない。無力だし、未熟だし、こんなので先生と呼ばれるのが恥ずかしい。
ただ、こんなときにはこう言うのが1番だとか、わかるようになるのも嫌だ。
元気で楽しかったお父様の思い出話をできる日が早くきますように、そう祈ることしかできない。