自炊は苦手ではなかった。私の母は、家政科を出ている料理が得意な母親だし、私自身も昔から調理実習が好きだった。高校の時は夏休みの宿題で、1日3食自分で作って、栄養価計算して提出したこともあったくらいだ。その時は、家庭科の先生にすこぶる褒められて、クラス全員の前で私に断りもなく勝手に自慢されたくらいだ。
大学になってから、私は一人で暮らすようになった。奨学金とアルバイトで毎日の費用を賄っていたし、特に裕福でもなかったので、ある程度は自炊をしていた。コンロは一つしかなくて、小さなワンルームで、ろくなものは作れなかったけど。いつも近くのドラッグストアで買ったささみを使って、いつも焼きそばを作っていた。本当に、なんどもなんども。
働くようになってから、私は徐々に自炊から縁遠くなっていた。お金は人を狂わすというが、私も例に漏れず働くようになってから金銭感覚が大いに狂った。元々、堅実なタイプではない性格であったが、自炊はめんどくさいとか言って、全然やらなくなっていった。料理は嫌いではないし、自炊も嫌いではないのだが。
ある時、ふとしたタイミングで辰巳さんの書籍を読む機会があった。彼女が生前、息子に向けて書いた一人暮らしについて書かれたエッセイと処世術の本。愛に溢れた本であると同時に、一人暮らしを始めた大学生の時に読んでいたかったなと思うくらいに生活に密着した良い本だった。自炊は面倒だと思っていたが、自炊は徐々に重要だと思うようになっていった。
そして今、コロナ禍を経て、自宅で働く機会の増えた私は、ライフスタイルが毎年のように変化する毎日を過ごしている。ある時は、超職住近接で毎日強烈に働くこともあるし、ある時はオフィスと自宅をある程度離して、活動によって使い分けるような過ごし方をするようになった。自炊は面倒なものから、お得なもの・経済的にメリットのあるものという認識に変わっていった。物価が上がっていくにつれて食材も惣菜も高くなっていくし、外食も高くなっていく。一括で色々作れる自炊はその分で安いと思えるように。
そして、自炊は徐々に楽しいものになっていく、そんな気がしている。毎日に毎日、ゼロから食事を作るのは本当に大変。だから自炊が嫌いだったんだとわかる。それは単に私に生活の知恵がなかったからであって、簡単にできるものを難しいままにしたツケが来ていたというだけなのだ。
でも、めんどくさいから楽をしようとしていろんなものが変わっていく、大切な価値観や感覚も。易きに流れるのは簡単とはよく言ったものだが、実際にそうだ。私本人は合理的な判断をしていると確信していたが、ただ単に私の見る目が足りない、経験が足りないだけで限られた局所的な合理的判断を盲信していたそんな感じがする。
自炊はそんなにめんどくさくない。作業をどこで、どんなふうに、どれくらいやるのかが大事で、頭を使いましょうって話だったんだと気づく。浅はかだったと過去の自分を責める私と、それでも今、自炊の楽しさを改めて噛み締められる嬉しさをしみじみ感じる休日