ホットプレートと、一人焼肉と、懐かしい気持ち

hayata
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新年早々、いくつか新しいものを買った。初売りだからとかそういうのではないけど、新年だからってのはあるかもしれない。買ったものは、私用で使うパソコンと、ホットプレート。パソコンの話はまた別の機会に書こうと思う。

ホットプレートは、お好み焼きと餃子を作って食べたいと思って買ったのだけど、せっかくなら焼肉用のプレートもつけてしまえと思って、波打ってるプレートも買ってみた。ホットプレートといえば、焼きそば、そばめし、お好み焼き、餃子、ホットケーキ、が思いつく。

昔から私の実家は家で焼肉をすることが多く、その時もよくホットプレート使っていた。家の中でする時は、ホットプレートで、家の裏庭でBBQ形式でする時は炭火で、と言った具合だった。ホットプレートは、肉から出た油が落ちるようになってるやつを使っていて、休日の夜、近くの精肉店でいくつか肉を買ってから、家に帰り、親はビール飲んだりしながら、テレビを見ながらわーきゃーいいながらご飯を食べたものだ。だいたい、ちびまる子ちゃんと、サザエさんがしていて、ぼんやりテレビ見ながら、家族と時々話しつつ、買ってきた肉を食べる。時々、飼っていた犬にも肉をお裾分けしながら。そんな平凡な毎日が確かに昔あったなと思い返す。

大学を機に関東に越してきてからというもの、私にとって焼肉は外食の定番に変わってしまった。昔は、家族が家で団欒の時間を過ごして、かつ子どもたちは嬉しく、親は料理の手間を最小限に抑える手段であったのに、気づけば「今日何食べにいく?」「焼肉行こうよ」という感じの会話に変わっていった。私は何かを失ってしまったのかもしれないし、何かを得たのかもしれないけど、変わったことだけは確かだ。学生時代には、食べ放題の焼肉にはとてもお世話になったし、デートや飲み会でもよくいった記憶がある。

社会人になってからも、焼肉というのはどちらかといえば会食のための手段であって、通気性が良い環境が多いことと、話が弾まなくても肉を焼いていれば時間が勝手に過ぎていくという安堵感のセットが私を焼肉に向かわせていたような感じがする。処世術といえばそうかもしれないが、無自覚にただ焼肉屋に行っては、人と団欒して、そそくさ帰る、そんな感じだったと思う。

ホットプレートを買ってから、一人で焼肉をしてみて、それも家の中でしてみて、昔の気持ちを少し思い出すような感覚があった。家の中で焼肉をすると、家がとても煙たくなるし、焼肉の匂いがそこらじゅうに残るし、脂が飛び散ってしまって掃除が大変になること、とか。でも、昔と違うのは、一人分の肉をちょうどよく拵えるのが大変で、それでも買い過ぎた肉は常温に戻してしまっているから焼かざるを得ず、焼いた後に「明日も食べるかぁ」「冷凍も少ししとくかな」と色々考える必要がある点は全然違う。昔、親父がビールを焼肉と一緒に飲んでいた時の気持ちがわかるようになった点も時が過ぎたことを自覚させる。

でも、変わらないものも確かにあって、例えば、肉をスーパーに買いに行く時のワクワク感とか、少し挑戦して買ってみたお肉が意外と美味しかった時の嬉しさとか、牛肉ばかりだと高くついちゃうから鶏肉たくさん用意したら鶏肉だけでお腹いっぱいになっちゃうところとか、七輪とか炭火とは違う焼き加減の感じとか。

過ぎた時間は確かにあって、私も変わって、周りも変わったけれど、でも変わらないものも確かにあって、ホットプレートの焼肉は、童心に帰ったような気持ちを思い起こさせてくれる時間だった。何にも華はない、平凡すぎてびっくりしてしまうほどにありふれた、そんな時間をなぜか愛おしく思ってしまうようになったのは、きっと私が大人になったからであろう。

@hayata
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