私が本格的に絵を描き始めたのは、今いるジャンルの一つ前のジャンルからだ。
それまではときどき気が向いたら紙に絵を描いて、上手く描けたかもと思ったらごくごく限られた人だけの鍵のアカウントに載せたりするくらいだった。
しかし、このようないわゆるアナログは紙、鉛筆、消しゴム、ペンなどと結構道具がいる。
また、消しゴムで消せば消しカスが出るし、描き損じたら新しい紙を用意するなどまあまあ部屋が散らかるのだ。
それが面倒くさくてあまり積極的に描かなかった。
描くようになったのはiPadを買ったからだ。
パソコンもあったが、さあ絵を描こうと思ったときにパソコンを立ち上げる準備がどうにも億劫で手が伸びなかった。
その点、iPadはこのどうしようもないめんどくさがりの私の全てを叶えてくれた。
部屋は散らからないし、立ち上げは早い。
どこでも描くことができ、すぐに片付けられる。
人生の中でも高い買い物の方だったが、これほど大事に使い続けてるものもないので本当に買って良かったと思う。
デジタルで絵を描くようになって気付いたのは、私は物凄く絵が下手だということだ。
今思えば意味不明なのだが、アナログで描いていたころは、Xで見かけるイラストの大半はデジタルだったため「アナログだから下手でもしょうがないよな」と思っていた。
しかし、同じ土俵に上がってみて「ツールは関係なく本当に下手なだけ」ということがわかった。
やはり何事も自分でやってみってみることが肝心なのだ。
幸いインターネットには上手なイラストや漫画で溢れかえっているし、「なんでそんなに親切な人がいるのだろう」と不思議になるほど丁寧に描き方の解説をしてくれる人もいる。
それらを参考にしながら見よう見まねで練習をした。
右向きバストアップしか描いたことがなかったが、吹き出しと線を引いて漫画にしてみたり、色をつけてみたりもした。
その時いたジャンルはまあまあ盛り上がっていたので、そんな拙い作品でもいいねやコメントがついたりしてそれもまた励みになった。
しかし、創作を続けるにつれどういうものを描いたら良いのか、自分は何が描きたいのかよく分からなくなっていた。
というのも、こんな推しカプを見てたいと思うような絵は難しく技術が追いつかない。
技術を優先して描いたものは、見たい推しカプとしては何だか物足りない。
とはいえ、そんな悩みもとりあえず描いてみるしかないだろうといろいろなものに挑戦した。
例えば、現パロ、女体化、エロなどだ。
読み専だった時は気が付かなかったが、描いてみるとこれらはとても大変だった。
現パロは、自分で設定を考えなければならない。
現代の二人はどんな職業で、関係で、どんな家に住んでおり、どんな服装で……と自分で決めなければいけないことが山ほどある。
二次創作の、説明しなくとも読者はキャラを知っているという楽さに慣らされた私にはハードルが高かった。
次に女体化は、何より女性の体を描くのが難しい。
また、こちらも髪型や服装などちょっとしたセンスも必要になる。
しかし、一番の理由は「BLだし男のが好きかな……」というシンプルな理由でやめた。
そして、エロである。
エロというのは、二次創作の中でも花形な分野なのではないかと勝手に思っている。
そもそも二次創作BLにおける「A×B」というのは性器の挿入方向であることからも、その重要性が窺える。
エロは体を描く良い練習にもなるし、魅せる技術がとても必要になる。
ぜひ自分もエロたくさんを描いて勉強したいと心からそう思っていた。
しかし、描いてみて衝撃的なことに気がついてしまう。
私、チ◯コに興味がない……。
エロというのは内容にもよるが、局部の描写は避けられないことが多い。
そんな中、私はチ◯コを描くことにまるで興味が湧かなかったのだ。
湧かなかったどころか、少し嫌ですらあった。
大好きな推しの、チ◯コであってもだ。
別に下ネタが極端に苦手なわけでもない。
やったことはないが、親しい友人との間でなら中学生のような下ネタの話を今でもすることはできるだろう。
推しカプの「こういうエロい話が見たい」ということを公開することに関しては良いのだ。
ただ、本当に単純にチ◯コを描きたくないのだ。
そうして初めて気がついたのだ。
私、あんまりチ◯コのこと好きじゃない……。
悩んだ。
正直言って、悩んだ。
私は二次創作でBLを好んでいて、描いてもいて、それなのにチ◯コが好きじゃないって、なんだ。
私の腐女子歴は長く、「A×Bとは性器の挿入方向のことでたとえエロい描写がなくともそこは表記すること」と教わったことを今でも覚えている。
そのくらいチ◯コは重要なのだ。
しかし、実はチ◯コははっきり見せてはいけない。
現在は、局部の描写がある場合はその箇所に修正を行うことが必須である。
それでも、絵描きの方々は丹精を込めてチ◯コを描写する。
見えないところまでも丁寧に、時に雄々しく時に激しく、見るものを唸らせるチ◯コを描写する。
チ◯コに生命を宿すのだ。
それなのにも関わらず、私ときたら……。
どうしたら良いのだろうか。
好きじゃなくても、描き続けてみるべきだろうか。
愛着や情が湧いてくるだろうか。自分の描いたチ◯コに。
いや、それは失礼なんじゃないだろうか。
嫌々描かれるのもチ◯コに迷惑なんじゃないか。
路頭に迷ってしまっていた。
しかし、ある時ふと思ったのだ。
人には誰にも得意分野と苦手分野がある。
私にとってはチ◯コは苦手分野なのだ。
チ◯コのことは巧みな職人達に任せて、私は私で自分の得意分野を見つけたら良いのではないか。
それを探すのも創作の楽しみなのではないのだろうか、と。
そうした経緯があり、現在の私の作風は何というか、この記事のタイトルのような感じ。
「結局どうなりたいんだね、君たちは」と言いたくなるような、感じ。
ポエムではないが、推しカプのあるのかないのか分からないフワッフワした何かを「あるのかなあ、ないのかなあ」と見てるような感じ。
私はこれを好きで描いているわけだが、人によっては鰻の蒲焼の匂いを嗅がされて「わー!鰻だ!!」と喜んで行ったらタレだけだった、くらいガッカリする人もいると思う。
おそらく、大半の人は鰻の蒲焼で好きな部分は「鰻」だろう。
でも、もしかしたら「鰻よりもあのタレが大好き」という人もいるかもしれない。
そんな人に出会うこともあるかも知れない。
それを待ちながら「鰻の蒲焼タレご飯(鰻抜き)」を作り続けられるのも、趣味の創作の醍醐味なのではないのかとも思うのだ。