ツイカイコルチカム

日々家
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「明野(あけの)さんって可愛いね」

 人懐っこい笑顔を浮かべて当たり前のようにそう言う日高(ひだか)さんは、太陽の光を浴びてキラキラと光っていた。言葉はまず耳に入り、それから体中を巡っていき一気に私の体温を上げる。彼は何を思ってそんなことを口にしたのだろうか。しかも、こんな私に対してだ。

「あはは……。日高さんは面白いこと言うね」

 今の私が返せる精一杯の言葉は小さな声で少し震えてしまう。日高さんの顔から目をそらして頭に入らないのに書類の文字に視線を向ける。日高さんは「面白いことかー?」と嫌な顔をせずに明るい声で返してくれた。

「もっと自信もてばいいのに」

「自信ですか……」

「明野さん、私服などんなの着てるの?」

「はい?」

「気になるなあ。今度出かけよう」

 落ち着け私。日高さんは誰にでも優しい。仕事でも困っている人を見過ごさずに手を差し伸べる人だ。きっと、職場で浮いている私を気にかけてくれているのだろう。

 でも、もし、もしも……。

 そこまで考えた瞬間、脳裏に過ぎったのは昔聞いた言葉だった。それは容姿をこれでもかと否定する言葉の羅列。もう何年も経っているのに、胸が苦しくなる。浮ついた気持ちが一気に冷めていく。

 ――ああ、バカみたいだ。これで冷静に受け答えが出来る状態になるなんて。

「日高さん、からかうのはやめてください。私のことよりこの案について進めていかないと」

「ガードが堅いなあ~。まあ、ゆっくり仲良くなろうな! でも言う通り、仕事はきっちりやらないとな」

 そう言ってから彼は言葉通り仕事を終わらせた。最初に淹れておいたコーヒーはすっかり冷めていたがそれを飲んで「喋った後だから冷たい方がいいな」と真剣な顔からまたあの笑顔になる。なんでもポジティブに捉えるのは、日高さんの良い所だなと私も自分の分に口をつけた。確かに、悪くないと思えた。

「そういえば、明野さん業務量大丈夫? 色々引き受けているの見てると心配になってさ」

「無理のない範囲なので大丈夫ですよ」

「そっか。でもさ、無理なら言ってよ。手伝うからさ」

「……ありがとうございます」

「明野さん、実は色々こなしているの俺知ってるから」

 そう言って日高さんはスーツのポケットから小さな箱を取り出した。

「頑張っている明野さんに差し入れ。じゃあ、またね」

 この後も会議が入っている日高さんは急ぎ足で部屋を出ていった。お礼を言う暇もなかった私は、目の前に置かれた箱を見つめる。可愛い猫の描かれたそれは、開けなくても何が入っているのか分かった。前に好きでたまに買ってしまうと言ったメーカーのものだった。

「チョコレート……。この為だけに買ってくれたの?」

 冷静になった筈なのに、顔が、耳が、どうしようもなく熱くなった。なんであんな優しい言葉をかけるのだろう。なんで気にかけてくれるんだろう。なんで……。

 答えが出ないまま、私はチョコレートを持って部屋を出た。

 仕事が終わり、いつものように職場の廊下を歩いていく。少し前の方で聞き覚えのある声がした。確認しなくても分かる、日高さんの声だ。それだけでまた耳が熱くなった。誰かと話している。チョコレートのお礼を言いたいけれど邪魔をするのは失礼だ。明日、言えばいいだろうか。でも、声が段々近づいているので、この角を曲がれば顔を合わせることになりそうだ。悩んで私の足は動きを止めてしまう。

「日高って明野さんにやたら話かけているけど、なに? 気になってるの?」

 その質問に私はドキリとする。心臓がこれでもかと動き出した。

「明野さん? うん。良い子だし、気になって声かけちゃうんだよなー」

「いや、だから、恋愛感情でもあんの?」

「んー。いや、周りに壁作っている感じがしてさ。だから俺が仲良くなって壁を壊せないかなって。そういう意味で気になっているって感じで」

「つまり恋愛とかじゃないのかよ」

「そう、かな……」

 コツコツと靴の音が近づく。

「勘違いはさせるなよー? 明野さんって恋愛と縁遠そうだし。もしかしてなんて思わせたら可哀想だろ」

「――ああ、そっか。気を付けるよ」

 それは胸の真ん中を突き刺した。私は逆方向に走った。鉢合わせないように、この顔を見られないように。視界が歪んで慣れた廊下が知らない所みたいだ。

 ああ、良かった。勘違いをする前に本心を知れて良かった。日高さんは“誰にでも優しい人だ”それが再確認できた。浮いている私を、自分に自信のない私を、同僚として気にかけてくれたんだ。そんなの分かっていたじゃないか。なのに、どうして、こんな苦しいの。なんで涙が止まってくれないの。後ろの方で誰かに名前を呼ばれた気がした。気がしただけだ。そうであってほしい。

「――さん、――明野さん!」

 手を掴まれて、それが勘違いでないことが分かってしまった。もっと早く離れていれば良かった。そう思ってももう遅い。

「明野さん、あのーー」

 日高さんは困った声を出している。いつも彼から想像できないものだった。困らせたくないな……。思えば、この優しさをもらえただけでも良かったじゃないか。彼が可愛いと言ってくれたのは、トラウマから逃げる為に頑張ったメイクが評価されたのだと考えれば、凄いことじゃないか。出かけようと言ってくれたのは、同僚として出かけられるレベルとして扱ってくれている、それから、それから……。

 鞄の中に入っているチョコレートの存在に気付く。私は、十分すぎる優しさをもらえた。ああ、幸せだ。日高さんの方は振り向かずに、息をひとつ吸い込み心を落ち着かせてから言葉を紡ぐ。

「日高さん、チョコレートありがとうございました」

「――え、あ、うん。気に入っているって前に言っていたから」

「覚えてもらえてて嬉しかったです。あと、私、忘れ物をしたので取りに行く途中なんです。この後、用事もあって急いでいまして……。離してもらえると助かります」

「ああ、そうなんだ」

 少しだけ安心した声を出した日高さんは、手を離してくれた。「じゃあ、お疲れ様でした」そう言って終わろうとした。

「明野さん」

「はい」

「明日も、よろしく」

「こちらこそよろしくお願いします」

 その言葉で全て終わった。

 廊下を歩いていく、夕日が射し込み辺りをオレンジ色に染めている。このまま反対方向にあるエレベーターに乗って帰ろう。そして、帰ったら、思いっきり泣いて明日から平気で過ごせるようになろう。

 ――現実に、漫画みたいな展開はやはり無いようだ。

2021年11月22日(月)

@hby115
昔の作品や書く習慣のテーマに沿って書いた話を置いておく場所。 書く習慣 : kaku-app.web.app/u/daWZ3WgZ8dStPmYSJxZW7dVRxS72