書く習慣(2024/2/3〜2/11)

日々家
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▼この場所で

 長い坂をただひたすらに登っていく。空は青々と澄み渡り、真っ白な雲が良く映えていた。アスファルトには焼き付いたみたいに黒い影がある。太陽が強く光り輝いて、私の体はじわりじわりと汗をにじませていく。

 坂をようやく登り終え、買っておいたペットボトルの蓋を開けて一気に中身を飲み干す。視界に広がるのは空とその色を映し出す海と私の住む町。一目惚れして移住を決めたくらい大好きな景色。

 ――自分が生きていきたいと思える場所に出会えるとは、私はなんて幸運なんだろうか。

 そんな事を考えながら、リュックに入れておいたスケッチブックと色鉛筆を取り出し、木陰の中でこの景色を残していく作業に入った。

▼誰もがみんな

 ――誰もがみんな幸福だと言える世界があるならば、どんなに素晴らしいだろうか。

 俺はパソコンのキーを打つのを止めて、淹れておいたコーヒーを口にする。

「誰もが幸せ、ねえ……」

 ため息交じりに出た言葉に皮肉めいた響きが混じってしまった。それはきっと、一人の不幸の上に多くの人の幸せが成り立つあの話を思い出したからだろう。

「そりゃ、理想はみんなが何の犠牲も払わず幸せになるのが一番だ。けど実際問題“何も無し”は無理だろ。なあ?」

 俺が仕事に集中している間、ずっと膝で寝ていた愛猫のわらびに声を掛ける。この名前の由来は、わらび餅に似ているからという単純なものだ。わらびは耳を少しだけ動かし、先程の俺と同じようなため息を吐きながら一声鳴いた。

「うんうん、お前も俺と同じかあ」

 言葉を勝手に解釈し、桜の形をした片耳を優しく撫でる。

「とりあえず、俺はお前の幸せを維持しねえとな」

 膝の温もりを感じながら、俺は再び文章の海に思考を沈めていった。

▼花束

「これやる!」

 顔を真っ赤にして差し出されたのは、花びらを鮮やかな黄色に染め上げ綺麗に咲いたたんぽぽの花束。家に入ってからずっと背中に何を隠しているんだろうと思っていたが、まさか花束だったなんてっと少し驚いてしまった。また虫だったら怒らなければと考えていたことを反省して陽希を見る。

 いつもなら「なつ姉ちゃん! 聞いて!」と笑顔を向けて今日学校であった話をしてくる陽希は下を見たまま私の反応を待っている。少し考えてから、私は手を伸ばして花束を受け取った。

「ありがとう。綺麗だね」

 その言葉に陽希は顔を勢いよく上げて、キラキラと目を輝かせながら「うん!」といつもの笑顔を向けてくれた。それが手にある花に重なって、私もつられて頬を緩ませる。

「おれ、すぐになつ姉ちゃんと同じ中学生になるから待っててよ?」

「いいよ〜。待ってる……って言ってもお隣さんだからいつでも会えるよ?」

「そういうのじゃないの! 全然違う!」

「ごめん、ごめん。ちゃんと学校で待ってるよ」

 陽希は満足したのか「分かってくれればいい」と言い、大人びた表情を見せた。

「たんぽぽ、花瓶に入れてあげないと。はるは居間に行って、今日の宿題出しときな」

「はぁい……」

 宿題という言葉に肩を落とす姿は年相応で、それになぜか安心した。

 洗面台に向かい、棚にしまってあった花瓶に水切りしたたんぽぽを挿す。白い陶器に黄色がよく映えている。花瓶を持って居間に入ると、午後の太陽の光に照らされた陽希が目に入る。それがとても眩しくて、私は目を細めた。

 私に気付いた陽希が「国語の問題意味わかんない!」と口をヘの字にして言う。それに「はいはい」と笑って返すと「早く教えて」と急かされた。窓際に花瓶を置いてから、私はいつものように向かい側に座って勉強を教え始める。

 ――きっと彼は、私の知らない内に成長していくし、沢山の人に出会い、私への感情も変わっていくだろう。それでも良いと思う。今この瞬間が、綺麗な思い出として残るのなら悪くはない。

「なあ、なつ姉ちゃん」

「ん? どうした?」

「おれは真剣だからね」

 考えを見透かされたように鋭い一言が心を突く。いつの間にか、私が知らない陽希がすぐ傍まで来ている気がした。

登場人物 : 沢田 陽希(さわだ はるき)森岡 夏乃(もりおか なつの)

▼スマイル

 ボロボロにされた心を時間をかけて立て直した。何重にも巻いた包帯や急いで貼った絆創膏、縫い目がお前らには見えないだろう。当たり前だこれは私の心なのだから。

 春色に染まった唇を少し緩め、背筋を伸ばして歩いてやる。地面なんて見てやるものか。威嚇するようにヒールを鳴らしてやる。

 この笑顔で私は私を守っていくと決めたのだから。

▼どこにも書けないこと

 真っ暗な部屋の中、窓の外からぼんやりとした明かりが入る。カーテンを開けると雲の間から月が顔を出していた。どこも欠けることなく、優しい光を発するそれは小さく笑っているように見えた。

 寂しがりが居るとこうして月は誰かを照らすのだろうか……。

 月をただ見つめていると、次第に形が滲んでいき、ゆらりゆらりと揺れ始める。私の視界に小さな海が生まれた。しかし、すぐにそれはぽたりと落ちる。そしてまたひとつ、止まらず溢れ出ていく。

 この感情を誰かに伝えることは一生ないだろう。きっと誰にも伝えられないだろう。それは私が怖がりだからだ。だから今だけはどうか弱さを曝け出すのを許してほしい。また明日も望まれる姿で生きられるように。

 ――情けない姿を見ても月は隠れず、泣き終えるまで私を照らし続けてくれた。

▼時計の針

 机には淹れたてのミルクティーとクッキー、そして読みかけの本が一冊。ガヤガヤと騒ぐテレビを消すと、部屋の中がしんと静まる。しかし、しばらくすると耳に秒針が動く音が届き始めた。カチコチと鳴るそれは、まるで時計の心臓の音のようで私は好きだった。

 カチリと秒針よりも少し重みのある音が鳴る。顔を上げて確かめると、針は一五時を示していた。待ちに待ったご褒美タイムだ。

 私は椅子に座り、ミルクティーを一口飲んでから自分の時間に入っていった。

▼溢れる気持ち

 もしも貴方が優しい笑顔を浮かべて私の名前を呼んでくれたら、雨がぽつりぽつりと降り出し、眠る蕾達に合図を送るでしょう。

 もしも貴方が私と同じ気持ちならば、雨は止み、次に太陽が顔を出し、じんわりと暖かくなる感覚と共に淡く美しい色に染まった花々が咲き誇るでしょう。

 ――私の世界に春が訪れるでしょう。         

▼kiss

 メイク中にふと中学生の頃に見た物語を思い出した。

 ――醜い野獣の姿にされた王子の呪いは、魔法のバラが枯れるまでに誰かを愛し愛されなければ解くことができない。

 そんなの無理だと思いながら見ていたが、物語はハッピーエンドを迎えた。幸せそうに唇を重ねる二人にその年頃が抱くであろう恥ずかしさより、見た目じゃなく心を好きになって触れ合える様を羨ましく感じたのを鮮明に覚えている。

 私はメイクが好きだ。私に自信を持たせてくれるから。泣いていた私に背筋を伸ばす力を与えてくれたから。 

「……もしも魔法で綺麗になってた場合、どうなるのかな」

 馬鹿らしい。とすぐにその思考を止めてお気に入りのティントを手に取り、唇を彩る。

私は今日も私に魔法をかけて生きていく。

→加筆修正したものを再度上げさせていただきました。

→作中に例えに出させて頂いた物語の内容に間違いがあったため下げます。申し訳ございません。

ですが、書いたものに反応くださりありがとうございました。今後は気をつけます。

▼1000年先も

 今日の空はどこまでも澄んだ青色を広げていた。昨日、この世が終わるんじゃないかと思うくらいに激しく雨を降らせていたのが嘘のようだ。草木に残る雫が朝日を反射して、世界をキラキラと輝かせている。窓を開ければ、雨に濡れた後の土の匂いが部屋に広がった。それはとても心地よく、思わず深呼吸して体に深く巡らせる。ふと視線を上に向けると、太陽が満足そうに輝いていた。

 この先も、私達のことなんて気にもせず好きなように空は姿を変えていくのだろう。ならば私もそれを見習い、今日は大好きなコーヒーを飲みながら好きに過ごそう。

 さて、勝手に怠ける理由にされた空は怒るだろうか?それとも、そんなの慣れっこだと笑うのだろうか?

「ごめんなさい。でも良ければ一緒に怠けてちょうだい」

 返事は当たり前のようにない。おとぎ話の主人公のような事をした自分に恥ずかしさを覚えた瞬間、ふわりと柔らかい風が頬を撫でる。

 ――まあ、たまにはいいか。と気持ちを落ち着かせ、私はお湯を沸かすためにキッチンに向かった。

 お気に入りのコーヒーはいつもと変わらず美味しかった。

▼勿忘草

 庭を眺めれば緑の中にぽつりぽつりと青が浮かんでいる。春の柔らかな日差しに照らされ、優しく吹く風に揺れる姿はこちらに手を振っているようだ。

「プランターから出して育てると増殖して大変なことになる」と彼女が言っていたが俺はこの庭をもっとこの青で満たしたいと思っている。

 彼女が好きな花だから、彼女が好きな色だから、窓を開けたらすぐに目に入るようにしたいから。困ったように笑う顔が浮かび、それに「困るなら一緒に手入れをしてくれないか?」と届きはしない声で返した。

 夏になれば庭から姿を消すだろう、けれど春にはまた姿を見せるだろう。彼女を愛している事を忘れずにいられるだろう。

@hby115
昔の作品や書く習慣のテーマに沿って書いた話を置いておく場所。 書く習慣 : kaku-app.web.app/u/daWZ3WgZ8dStPmYSJxZW7dVRxS72