▼ひなまつり
お雛様の前にズラリと並ぶお菓子の数々。これはあたしにとって宝の山にしか見えない。
お雛様を飾る意味とか難しいことは置いといて、お菓子を食べられることが嬉しい。上機嫌でお菓子を頬張るあたしとお雛様の目が合う。お雛様が優しい笑顔を向けているように感じて「お雛様のおかげでお菓子いっぱい食べれるよ!ありがとう!」と言ってみた。
「あんたはもうちょっとお雛様の上品さを見習いなさい」
「げっ、聞かれた……」
後ろに居たお母さんが苦笑いしながらあたしの頭を撫でた。そんなあたしを見ながら、お雛様はお上品に座っている。
――あたしがああなるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
▼たった1つの希望
物語が続く限り、僕はこの世界にまだ居られる。
文字を紡ぐ人、君が僕の希望だ。
▼欲望
まだ足りないと君は泣いた。
もっと欲しいと君は描いた。
描くのが怖いと君は怯えた。
好きに描いていた頃に戻りたいと君は消えた。
欲望の果てに、君は君の絵を取り戻した。
▼列車に乗って
キラキラ光るのは星だろうか。
それとも誰かの涙だろうか。
車窓から眺める夜空はいつもよりうんと美しかった。
ガタンゴトンと列車の音が辺りに響く。不思議と不快には感じない。
ふと、まるであの物語の銀河の中を走っているような気分になった。
しかし、りんごの匂いも野茨の花の匂いも私には届かない。
列車は私一人を、終着点まで運んでいく。
――あの匂いが分かっていたら、どこまでも一緒に行けていたのかもしれないね。
▼遠くの街へ
もしもどこにでも行けるのならば、
暖かな日差しの中、桜の花が見られる場所がいい。
どこまでも広がる紺碧の空と海が見える場所がいい。
枯れ葉が鮮やかに山を染める景色が見える場所がいい。
冷たくも優しい静けさを運ぶ風を感じれる場所がいい。
誰も私を知らない場所がいい。
▼現実逃避
――朝焼けの空を眺め、波の音を聞きながら、好きな人と手を繋いで歩きたい。
しかし、その肝心の好きな人の顔は未だぼやけている。
都合良く好きになってはもらえないし、仮に好意を向けられたとしても、私自身が相手を好きでなければ意味がない。
だから今は、ぼやけた顔の“好きな人”に付き合ってもらう事にした。
頭の中くらいは、ドラマチックな世界でも良いでしょう?
私は溜め息を吐いて黒板の文字を書き写し、“私の春はまだまだ先だなあ……。”なんて思いながら、外の満開の桜の木を羨ましく感じた。
▼君は今
君は今、どんな顔をして日々を過ごしているのだろうか。
もう知る術はないけれど、良いと思える日が多ければ僕は嬉しい。
いや、しかしあれからどれくらい経ったか分からない。もしかしたら君は僕と同じ世界にいるのかもしれない。
「転生番号百二十五番さん。時間ですよ」
スーツ姿で黒髪短髪の男、柊さんが僕を呼ぶ。
柊さんは僕の担当死神というやつで、ここに来てからよく他愛もない話をした仲だ。
「あはは、なんだか番号って変な感じですね」
「すみません。決まりなので」
前は今呼ばれたヘンテコな名前ではなかったが、転生一週間前あたりから前世の記憶がじわりじわりと消えていくと説明されていたから受け入れてはいる。
まさか本当に自分の名前まで忘れるとは……。
けれど不思議な事に、“君”の事は覚えていた。
名前は忘れてしまったけれど、姿とか声とか表情とかは思い出せるんだ。
「また奥様と一緒になりたいんですか?」
「おくさま? ああ、“奥様”。そうか、彼女は僕の妻か」
「……すみません。転生前のデータの確認作業の為に記憶を拝見しました」
「良いんですよ。仕事ですもんね」
このやり取りに、あの世もこの世も変わらないなあ。なんて呑気な事を考えていると「一緒になりたいんですか?」とまた問いかけられた。
「なりたいと言えばなりたいし、なりたくないと言えばなりたくないですね」
「?」
彼は真っ黒な目を丸くして首を傾げる。きっと「なりたい」が返ってこなかったのが意外だったんだろう。
それが小さい子供のように見えて、僕は少しだけ笑ってしまった。
「生まれ変わった僕は、僕であって僕ではないからですよ」
「転生ですから」
「そう。だから、知らない男に彼女を取られるのが複雑なんですよ」
「ね? わがままでしょう?」と言うと彼は頷く。僕は言葉を続ける。
「でも、生まれ変わって彼女の生まれ変わりに恋をしたら、笑って下さいね。柊さん」
「……ええ。同僚達と“そらみたことか。やっぱり生まれ変わっても彼女を選んだ”って笑ってあげますよ」
僕らは最後に友達同士が見せるような笑顔で会話終えた。
最後の記憶を消されながら僕は、“ああ、きっと来世の僕は柊さんに笑われながら前世の僕のわがままを聞かされるんだろうな。”と考えながら真っ白な世界に消えた。
▼物憂げな空
どんよりとした重い雲が空を覆い、しとしと雨が地面を濡らしていた。
「せっかくの休日なのに……」ぽつりと呟きつつ溜め息を吐いて、新しく買った傘を広げる。ふと視線を上げると内側に淡い水色が広がっていた。そこで、この色合いに一目惚れしてしてこの傘を買ったのを思い出す。
少しだけ気分が和み、私の足取りはさっきよりも軽くなっていた。
▼小さな命
あなたがわたしを迎えるのなら
名前をつけて
一緒に歩いて
ご飯を食べさせて
頭を撫でて
抱きしめて
最期の時まで一緒に居て
あなたがわたしの世界の全てだから