昨年末に受けたWAIS-Ⅳと心理検査の結果が出た。
昔からADHD傾向を疑ってはいたが、昨年思いきって病院に通い始めて医師の話を聞いてからは、また別の予想が立った。結果としては、後者の予想が的中した。
《ASDの傾向が強い。また不注意優勢型ADHDの傾向もある。》
WAIS-Ⅳの各項目の数値のあいだで15を超える高低差がみられると“発達障害の疑いあり”と判断されるらしい。私はワーキングメモリーと処理速度の数値に46もの高低差が出た。笑う。
今になって、長年「生来どうしようもない性根の腐った駄目人間なのだ」以外に答えがでなかった出来事の数々が、少しずつ思い出されていく。
そもそも診察を受けたのは、これが初めてではなかった。
約10年前、ずるずると大事な単位を落としまくって大学に通えなくなった頃、心療内科に行った。その時は、退学をみとめ診断費用を出すことの条件として、毎回必ず親同伴で通っていた。早いうちに小学校の通知簿をみてADHDの疑いはないと判断されたのち、うつと社交不安の診断が下りた。世代もあってか両親は精神面の病というものにそもそも懐疑的で、たびたび根本から問いただすような質問を私や医師にぶつけてきた。自分に絶望していた私はそれをただ虚ろに聞くことしかできなかった。何のために行っているのかもよくわからなかった。薬の効果も特にみられず、結局自力で思い立って働くようになって通院をやめた。あの頃のことはもう断片的な景色しか覚えていない。
それから長らく心療内科そのものを心理的に避けていたが、数年前に行かざるを得なくなった時期があり、またうつと社交不安との診断をもらった。そしてつい最近またうつ思考になってきた頃「そもそもこれを繰り返しているのは、やはり根本に理由があるのではないか」と思い直したことで、今に至っている。
自分は何故“こう”なのだろうという違和感は、子どもの頃からあった。
他者とのコミュニケーションの中で、いつまで経っても、一定の流れのある振る舞いができない、とでもいおうか。どこかでつまずく、つんのめる。何かと“さじ加減”というものがわからない。声や表情なり動作なり発言内容なり、何かしらの異様さが露呈する。その瞬間、相対する人にかかわりづらい“異物”としての線を引かれる。よそよそしい表情と物言いから何となく察せる「早くずらかろう」という雰囲気を何度も感じてきた。
子どもの頃の自然教室や、学生時代の部活動。団体で活動する中で、同級生とくらべた時の自分の行動力や判断力の乏しさを実感することは非常に多かった。各人で自主的・主体的に行動することを求められる場面になると特にダメだった。その場の思考や外的な何かに気をとられて失敗し、迷惑をかけて、それまで仲が良かった人に距離を置かれる。何度も何度もあった。
中学で一度、高校で一度、クラス内で孤立した。誰とも話さず帰る日も少なくなかった。
「気持ち悪い」「ほんまに死んでほしい」「めっちゃキモい」「ブス」
中学で言われたそういう言葉たちは、心底情けないけれど未だに心に刻まれている。自己否定的な感情がつねに心のうちに巣食っている。他人に外見や内面のどこかを褒められても喜べない、むしろ「何かの偶然でそう見えているだけ、この人もいずれ気が付くだろう」と後ろめたくなったり、かえって気分が沈んだりする。
事ある毎に「普通の人はどうするんだろう」と不安になって周りを見渡してしまう。かくあるべきという軸や芯がなくぼんやりしている。そんな自分にとことん嫌気がさす。「気持ち悪い」。
好きだと思う人や、憧れる人であればあるほど、きっと話さない方がいい話したくない、自分を見せたくないという思いが働く。三十も半ばにさしかかろうとしている今でも。子どもみたいで「気持ち悪い」。
感覚過敏もあった。昔から首にあたる衣類はむず痒くなるので身につけられない。小学生の頃は赤白帽のゴムが耐え難くて大変だった。日によって気になる程度や範囲にばらつきがあったりもするので、服選びに苦労した。今は少しでも首の詰まっている衣類は徹底的に避けるようにしている。またときどき首以外でもちょっとした感触が気になって落ち着かなくなり、不快感が止まらなくなることもある。
体温調節が苦手だ。暑いと他人にビックリされるほど汗をかく。寒さにさらされると眠気が我慢できなくなるので、冬場は帰宅してからすぐ眠ってしまうことが多い。またそうでなくとも日中の眠気は基本的に強い。
それとコンプレックスもあるのだろうが、慣れない場所で人に見られている感覚が生じると、緊張感が跳ね上がり混乱して、周りが見えなくなる。もう慣れつつはあるが、クラブに行く時にも不安が常に同居している。わりと目立ってしまいがちな長身が憎くなる。そんな自分が「気持ち悪い」。
今はストラテラを服用しているが、とくに目立った効果はみられない。ASDにはADHDと違って、効果の認められた治療薬というものがないらしい。ADHDの薬がついでに効くこともなくはない、くらいのものだとか。
どれほど無意味とわかっていても、どうしても考えてしまう。
どうしてもっと早くわからなかったのか、と。
記憶に刻まれた罪悪感、疎外感、恥ずかしさと情けなさ、寂しさや悲しみ。何かある度に自己というものを否定し貶めるしかなかった日々。
なぜ私は、私の好きな人たちと同じようにやれない。
気持ち悪いんだよ。死ねばいいのに。死ねばいいのに。
そんな風に思いながら生きていた時に『片づけられない女たち』という本とADHDのことを知り、買って読んで、あまりにも自分にあてはまることがありすぎて一晩中泣き明かした。それが10年前だ。
今の今まで、とんでもない遠回りをしてしまった。あの時の私に謝りたい。私と近しい関係にいたことで、負担を負った一人ひとりに謝りたい。
こんな自分じゃなければ人生、どんなに良かっただろう。
どれもこれも、どうしても思わずにいられない、どれほど無意味でも。
そして最終的に考えることは、いつもきまって同じ。
それでも生きていきたい。好きなものを好きでいたい。好きな人に会いたい。大切な人を大切にしたい。そしてときには必要とされたい。
だから今日も今もやってくしかない。やってくしかないけど、時々どうしても虚しくなる。でもそれを誰にも言えないから、すがるように、こんな形でぶちまけている。なんて滑稽でくだらない人間だろう、笑ってしまう。せめて全部ここに置いていけたらいい、と願っておく。
私の前を、通り過ぎずに立ち止まってくれる人たちへ。
こんなんでごめんなさい。みんな大好きです。