コスパとかタイパではない兄弟はおもちゃで寿司を作って食べる

hebiko
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公開:2025/12/18

地球と書いて〈ほし〉って読むな』を読んだ。どのページを読んでも面白く、本当に一冊すべて楽しく読ませてもらった。

目次がすべて短歌になっているのもとてもよい。その中でも特に心に残ったのが、この短歌にまつわるエッセイだ。

わたしにはわたしの呪いがある日々の遠くでひかる裸の言葉

このエッセイでは、「子どもを産んでほしい。自分は子どもを産んで育てたことがとてもよかったから」という著者の母と、「それがよいことかどうかを決めるのは自分だ」という著者とのやり取りが、温泉という場所で行われる。詳しい内容については是非本を読んで欲しいが、わたしはこのやり取りについて、著者の母の気持ちも、著者の気持ちも痛いほどわかり、頭を抱え込んでしまった。

自分のことを言うと、子どもたちが本当にかわいい。もし人生をやり直すことができたとしても、できれば同じように今育てている二人の子を産んで、育てたいと思う。本人たちにとってわたしが母親でいいかどうかはまた別の話ではあるけれど、自分としては、二人の子どもたちの母親として日々関わることができて本当に幸せだ。

ただ、これはあくまで「自分の場合は」の話だ。人に「子どもを産んで・育ててどうですか」みたいなことを聞かれても、「すごくオススメ!」とは正直言いにくい。実際子育ては表層を見れば、体力も気力もお金もとにかく持っていかれる。子育てをしているからといって税金は安くなったりしないし、「自分でお金を稼ぎながら子育て」と思っても、保育園も学童もお金がガッツリかかる(この辺は自治体にもよるけれども)。正直現代の日本では、一人または夫婦で生活を回していった方が、経済的にも体力的にも楽なことは間違いない。巷でよく言われる「コスパ」「タイパ」で言ったら「出産・育児」はとんでもなく悪いだろう。

それでもなぜ自分が子どもたちと過ごす日々をかけがえのないものだと思っているかと言えば、やはり「かわいいから」という点に尽きるのかもしれない。

「発展途上でどんどん成長していく生き物を見るのは面白い」とか、「自分が知らない世界を見せてくれて面白い」とか、「人間ってそうやって成長するんだ!という発達過程が見えて面白い」とか、並べられる客観的な「面白さ」はそれなりにある。ただそんなことよりも、ニャッキ!を一緒に見て「アリさんのおうちに連れてかれちゃったね〜」みたいな実況を聞いたり、マイクラで得た新しい知識をせっせと披露してくるのを聞いたり、「これすごいでしょ!見て!!」と言われたり、トミカを真剣に並べてるのを見たり、ポケモンの図鑑を一生懸命読んでいるのを見たり。そんなどうでもいいようなことが毎日本当に楽しい。そしてこれは簡単な言葉で言えば「かわいい」に集約できてしまう。

人に「子どもを育てていてどうか」を聞かれる度に「大変だけどかわいいよ」みたいな返答をしてしまうことが多い。そして、前半の「大変だけど」には誰しも「大変」と感じる具体的なエピソードがつけられてしまう。

でも後半の「かわいいよ」には、わかりやすく説明できないいろいろが詰まっている。この後半の「かわいいよ」が自分の中で膨らんで膨らんで、自分の大きな幸せの一つになって、家族くらい関係性が近い人に「子どもを産むといいよ」と言ってしまう場合もあるのだろうなと思った。自分が「幸せになってほしい」と思っている人に対しては尚更だ。

というのは『地球と書いて〈ほし〉って読むな』を読んでの感想で、もちろん自分は人によると思っているので言わないようにしているし、泥酔して理性がなくなってるでもなければおそらく本当に言わないと思う(たぶん)。でも「子どもかわいいよ」という、心の底から思っている少し前向きな話は、もっとしていった方がいいような気もする。実際のところはわからないけれど。

でも「大変だよ」にかかってくる金銭的な負担とかそういうところは、社会としてなんとかなってくれないかな〜とも思うのだった。社会〜。

@hebiko
テクニカルライターをやったりUXライターをやったりしている