上手に書けないけれど

heidi
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とても気持ち悪いことがあった。

30年前の古い情報と価値観を得意気に話す有識者の方々の講話の場に出席した。自慢話が続くのに辟易して、知人が新しく始めたというYoutubeを見た。地方で農業をしながら親子仲良く出演している様子に癒された。

その有識者の方は、その後のグループディスカッションに参加して、驚くようなセクハラ発言をした。言われた人は慣れているようで笑顔であしらっていた。私は何も言えなかった。言えなかったことを、今でも後悔している。なんていえばよかったのか、どうすれば良かったのか、考え続けている。

そんな時、パートナーがこんな一節を送ってくれた。

『そうやって場数を踏んできたので、言い返せるようになりました。「上野千鶴子」が一日でできあがったわけではありません。打たれ強くなったのは、わたしがそういう場面にたくさん直面してきたからです。誰が好きで打たれ強くなりますかいな。』

「こんな世の中に誰がした?ごめんなさいと言わなくてすむ社会を手渡すために」上野千鶴子著

ふっと笑えた。

打たれ弱いという事は、言葉が出ないということは、まだまだそういう場面に直面する機会が少ないということか。そうであれば喜ばしい事ではないか。

でもやっぱり、私は強くなりたい。こんな無駄なことに若い女の子たちがエネルギーを吸い取られてほしくないし、それが当たり前だなんて思ってほしくもないから。