「言葉にすることが怖い」と思うのは初めてかもしれない。この作品が私にあまりにも多大な影響を与えすぎて、どこが好きだとか、どこに感動しただとか、今の私の貧弱な語彙と表現力では、到底語り尽くせないことがわかりきっているから。私の貧しい語彙力のせいで、「ひらいて」が私に抱かせた莫大な感情を陳腐なものにさせてしまうことが、途轍もなく怖い。それでも、やはり今の私が感じたことを、言葉に残しておきたい。それくらい、大切な作品。
愛
まず何より、私は愛を憎めない。一般的に見て非人道的で、すべてを破壊しようとする愛は確実に性格が歪んでいるのだけれど、それでも彼女を憎めない。自分の思うまま、欲望のままに行動する様は正直気持ちがいいと言ってもいいくらい。その衝動性というか、狂気というか、なりふり構わず突き進む愛が、私にはどこまでも眩しくて。私にはできないことだから。私だけじゃなくて、割とみんな倫理観を無視して衝動的に、欲の赴くままに行動してみたくなることってあるんじゃないかな。好きな人を奪いたい、好きな人の彼女、彼氏の息の根を止めたい、好きな人を独り占めしたい。好きな人に関係なく、夜の学校に侵入して手紙を盗む、机を蹴散らしてみる、学校を飛び出して電車に乗るのも。大抵の人は理性を働かせてそんなこと絶対にしないのだけれど、実際してみたくなったり想像したりすることはあると思っている。でも愛はそれをやってのけてしまう女の子で、私がなによりも彼女に惹かれる理由。
愛はたとえの「どこを好きになったのかをうまく表現できない」らしい。最初は自分に抗うものを自分のものにしたいという支配欲、自己満足的な面から彼を好きになったのだと思うし、実際愛もそう言っている。が、終盤になるにつれて、やっぱりそれだけではなくて、愛はきちんとたとえのことを好きなのだなと思わざるを得ない。その好きは美雪がたとえに向ける好きとはまた少し違ったもの。たとえと美雪はお互いの世界を共有できる関係で、言葉を交わす隙間すらないような、「ふたり」で構築された穏やかな空間。「分かり合える」が前提にある好き。でも愛がたとえに向ける好きは真逆で、ぶつかり合って、足掻いて、苦しくて、それでも離れられない、縋るような好き。
たとえは愛の表面、外面を剝がした。愛にとってたとえは、初めて真っ向から向き合って、愛という一人の人間に対峙してくれた人物。それが教室に呼び出した場面であり、ここから愛にあったたとえへの支配欲や自己満足的側面が削がれた感がある。外向けの顔を作って、愛というキャラクターを演じるなかで、本当の愛という姿を肯定して認めてくれる、好きでいてくれる人を欲していたのだと私は解釈する。愛という人間が持つ、本当の姿に触れてくれたのがたとえなのだ。それが愛の奥底にあった醜い一面だったとしても、愛を見てくれた。「強く罰してほしかった。」という愛の言葉からも、誰かに見つけて咎めてほしかったのだと思う。「彼は全身で甘えても受け止めてもらえない絶望を知っているから。」すごくたとえへの解像度が高い一文。でもこれは愛もそうなんじゃないかな。取り繕った自分が幾重にも重なって、他人に思いっきり甘えることができないでいる。「助けて、私を見て、手を差しのべて。私を拾ってください。」本当の「私」を見つけてほしいと心の底から願ってやまない愛。教室のシーン以降の、愛がたとえに向ける感情には若干の変化がある。終盤の「自らの過去に没入して話すさまが愛おしい」と思う愛は、やはりうねりながらもたとえをきちんと好きでいたのだと思う。もうそこには支配欲も独占欲もない。「なぜ自分の不器用さばかりに目を向けて、私の不器用さに気づいてくれない。」愛だって辛いのだ。器用に生きているように見えて、必死でもがいている。愛は強さと同時に、弱さも持ち合わせている。「"なにも心配することはない。あなたは生きているだけで美しい"と丁寧に言い聞かせてくれる存在を渇望し、信じきりたいと望んでいる。」誰かに自分を認めてもらいたいという感情。折り鶴は、行き場を失った愛の本心、感情、心、気持ち、それらがいっぱいに詰まっていて、誰にも見せることができないでいるもの。弱さであり、強さであり、本当の愛の姿、愛自身が投影されたもの。
たとえ
たとえにとっても愛はまた特別な存在。初めて名前を気にかけてくれた。彼にとって憎い親が、初めて彼に与えたもの。「たとえ」。やっぱり私、この名前の持つ特有の音の響きが大好き。厳かで、静かで、奥ゆかしい雰囲気と同時にしたたかさ、胸に秘めた強さがある。何回でも口に出したくなる、そんな美しい名前。そして愛はたとえの親を殴るほど、彼のことを思っていた。美雪とは違う、強さで自分を守ってくれた。だからこそ、たとえは愛を許した。彼女もまた、弱さを持つ人間であることを理解したのだと思う。
たとえと美雪
どこか達観していて、精神年齢が大人と言えばそれまでだけれど、その2人にしか生まれえない閉塞感がそこにはある。2人でいることがお互いにとって救いで、孤独を感じずにいられる手段。たとえは親、美雪は病気、苦しい現実から逃げ出すというより、その現実の敵と戦うために支え合う関係であり、世界で唯一分かり合える存在。でもその敵たちもあくまで2人が分かり合うきっかけでしかなくて、それがなくても結ばれる運命ではあったのだと思う。「なぜ、彼らを引き裂けると思ったのだろう。なぜ、自分が割り込めると思ったのだろう。」カップルを見てこんな感情に襲われる経験を、私はしたことがない。たとえと美雪には、確かにそこに、2人だけしかわからない暗号でできた世界が構築されている。
愛と美雪
たとえと美雪が心で惹かれ合ったのだとしたら、愛と美雪は体で心を通わせたと言うべきだろう。美雪は肌の温もりを欲していたし、それは愛も同じ。心だけでも体だけでもだめなんだよな、きっと。体を重ねていた瞬間だけは偽りではなかったし、お互いを愛おしむ気持ちに嘘はなかった。美雪が「初めて学校で藁じゃないもの掴んじゃった」と言っているように、たとえは美雪にとって同じ弱さを分かってくれる人ではあるが、強さそのものを授けてくれる存在ではない。だからこそ、愛が彼女の意思で自分を助けてくれた強さに救われ、心を開いて体を許せた。「およそ、忍耐力など持ち合わせていない人が、たとえ打算があったとしても、私の前で辛抱強くふるまい続けるのであれば、私は愛さずにはいられません。」やはり、美雪も愛の本質を見抜いていた。「美雪、あなたを愛してる。また一緒に寝ようね」心だけでは通わせられない何かを、2人はぼんやりとわかり始めて、お互いの寂しさと辛さを埋められる。そこには恋愛とはまた別の、2人だけがわかる感情であり関係なのだろう。
愛には強さがある。だが同じくらいの弱さも持っていて、それを全く違う方法でたとえも美雪も理解したのだ。強さも弱さも本当の愛であることに変わりはない。全部はちゃめちゃにして、傷つけて、傷ついて、でもやっぱりたとえに執着してしまって、美雪に救われて、それをちゃんと理解して、自分の一部として認めている。だからこそ、私は愛を愛さずにはいられない。
表現
ひらいてが好きな理由の一つに、文章の美しさがある。美しい恋心からどす黒い感情まで、ここまで的確に言葉を充てられる綿矢りささんの技術には屈服させられる。そもそもここまで感情を言葉にすること自体、日常ではありえないし、ぼーっとしていたら取りこぼしてしまうような感情たちが散りばめられている。一貫して愛の一人称視点のため、愛の細やかな心情の機微がこれでもかというほどこちら側にひしひしと伝わってくる。独特な愛の視点、考え方にも、なぜか共感してしまう。これぞ純文学。
ここからは私の好きな文を抜粋してちょっとだけコメントを残す。
・「心臓の鼓動が急に勢いを増し、連動して喉がひくつく。まるで、同じ教室に彼が存在したのを、たった今知ったみたいに。」これは好きな人を見た時あるあるなんだけど、二文目が秀逸すぎるんだ。同じ空間に好きな人がいたことを知って、胸がきゅっと嬉しくなると同時に締め付けられて緊張するのを、「たった今知ったみたいに」と表現するの、天才。
・「成功だけが、自分の正しさを証明する手段」これは初めて読んだ時から忘れられない一文。当たり前のことなんだけれど、言葉にされると重みが違う。
・「この、相手を掴んで握りつぶしたくなるような欲を、男の子たちがいままで"かわいい"という言葉に変換して私に浴びせてきたのだとしたら、私はその言葉を、まったく別なものとしてひどく勘違いしていたことになる。」私は男の子ではないからわからないんだけれども、キュートアグレッションに近い感情だと理解した。かわいいって、ぐちゃぐちゃにしたくなる。
・「一生に一度の恋をして、そして失った時点で自分の稼働を終わりにしてしまいたい。二度と、他の人を、同じように愛したくなんかない。」すごく、わかる、と思ってしまった。私の一部になってしまった恋に、二回目なんていらない。他の人を愛してしまう未来が存在してしまう可能性が1mmでもあることが怖い。
・「いつ魔法がとけるかと怯えている。女の子でいることは魔法だし、人目を惹く女の子でいることは、もっと魔法だから。」その通りとしか言いようがない。女の子はいつだって消費期限つき。
・「正しい道を選ぶのが、正しい。でも正しい道しか選べなければ、なぜ生きているのか分からない。」愛の性格をよく表した一文。常に正しくあることなんて無意味。
映画
私は基本実写化があまり好きではないし、もちろん原作を超えることはないと思っている。だが、「ひらいて」に関しては映画を原作と同じくらい好きになれた。もともと作間が映画に出るということで、それなら原作を読んでから映画を見ようと小説を読んだところ、人生が変わってしまったわけなので、作間には感謝してもしきれない。ありがとう、作間龍斗。
映画では小説にはなかったオリジナルのシーンや割愛された場面があるが、話の本筋を邪魔していない。何より映像が美しいし、かつ最高のキャスティングと演技。退廃していく愛を見事に演じきった山田杏奈ちゃん、何度見ても彼女の演技に取り込まれてしまう。
私が一番好きなシーンは、原作にはなかった、たとえが愛の耳を塞ぐところ。刺すような愛の瞳と、穏やかな海のような表情を湛えるたとえを、ピンクの淡い色彩がふんわりと包む。全体的に灰色で薄暗い雰囲気が漂う作品だからこそ、明るくて淡いシーンが映えている。一瞬で首藤凛監督の光と色の使い方の虜になってしまった。
まとめ
今まで読んできた本のなかで間違いなく一番好きな作品。なにがなんでも棺桶に入れたい一冊であり、私の精神安定剤の一つ。何回読んでも飽きないし、読めば読むほど、愛、たとえ、美雪という人物とその関係性に惹かれてゆく。明日も生きてみようと思える作品に出会えた私の人生、悪くない。