今もまだ夢から覚めたくない。ずっとずっとみんじさんが見せてくれた踊り子の幻想の中で生きていたいよ、私は。私が仮に私の名前を忘れても、あなたが見せてくれた美しい踊り子だけは忘れないって誓える。Twitterで「ミンジが踊り子なんて意外」とか、「まだ知らないミンジがいた」って意見を見かけたけど、私はみんじさんが踊り子を大好きなことも憂いを醸し出すのが得意なこともちゃんと全部知ってた上で感動したんだからね。ちゃんと知ってたよ、それでも、言葉で表せない。いつもみたいなにっこにこ笑顔じゃなくて、物憂げな表情で踊り子を歌うみんじさんを見てもうだめだった。CWYみたいな表情管理としての憂いじゃなくて、一人の人間が自分の心の中にある感情と独りで対峙して、回想しているみたいな憂いだった。ずっと苦しそうというか、何かを思い浮かべながら歌っている表情に見えて、綺麗な瞳をうるうるさせて歌うあなたが世界で1番、誰よりも美しかった。目を瞑って開けたらもうそこにはきっといない、儚くて、でも絶対に儚いの一言では言い尽くせない魅力。同じクラスにいるのに、一生手が届かない女の子がそこにはいた。あの近さで生のキムミンジというか、アイドルではなく、一人の高校生として存在していたキムミンジを感じてしまったという事実から抜け出せるわけがない。すごくリアルな高校生の感じがあって、ゆるっと一つに編んだ髪も後毛も完全に高校生のそれだった。超私情なんだけど遠目で見た時に衣装の制服(これハンリムの制服だったらしい)が私の高校の制服に似ててうわーん、なんで高校時代にキムミンジがいなかったんだ...とか考えてた。私の中にある古の記憶がどんどん思い起こされて、ああこれがキムミンジの持つ強烈なノスタルジックさかと痛感。曲が始まって歌いだした瞬間から涙が止まらなかった。ステージ上のみんじさんはソロより前の曲でたくさん見たのに、みんじさんが私の客席に近い右側のステージに来た時に、ああこの人本当にこの世に存在してたんだ(当たり前)、私の幻想じゃなかったんだって実感できて、それだけでもうここに来た価値があるなって思えたの。いや、このために私ここに来たんだって思った。表情ひとつひとつが本当に大好きで大好きで、やっぱり私あなたに出会うために生まれてきたよ。あなたに出会えなかった世界線もあるって事実がとんでもなく怖くて怖くて、こうしてあなたに出会えてあなたの視界を構成する一人になれて、私それだけで生きててよかった。あなたにずっとずっと憧れて、あなたに生まれ変わりたいって、あなたを見た時からそれしか考えられなかった。私が生まれる前から、私が私という自我を持つずっとずっと前から、あなたのことが好きだった。遺伝子でキムミンジを好きなる運命だったと胸を張って言える。これからも今までも私の女神、ミューズだよ。あなた以外考えられないし離れられない。私の永遠の初恋でいてくれてありがとう。私が思う初恋と、私が過ごしたかった青春のイメージを「踊り子」で体現してくれてありがとう。私の目の前に表れてくれて、現場に興味がなかった私を東京まで来させるくらいに好きにならせてくれてありがとう。後にも先にもキムミンジが世界で1番だよ。愛してるって伝えたくてたまらない。あなたがバニキャンのために日本語の曲をいっぱい練習して、日本語で歌ってくれた。その事実だけで胸がいっぱいでもう何も惜しくない。本当にいっぱい練習したんだろうなって伝わってきて愛おしくて仕方ないよ。あなたが優しい声で呼びかける何万人もの「バニズ」の中に私がいるだけで明日も生きようって思えるよ。ありがとう。何よりありがとう、愛してるってって伝えたい。誰よりもあなたを想ってる。大好きだよ。
後日談
私は1日目に参戦したのだけれど、なんと1日目はみんじさん体調が良くなかったらしいと知って、とてつもない罪悪感に苛まれた。彼女が浮かべていた表情は演技だけではなく本当に辛かったせいでもあるのだという事実に直面し、自分を殺したくなるほどだった。私は彼女の体調不良による表情を、パフォーマンスとして「消費」してしまったという事実に戦慄した。そもそもファンはアイドルの人生を消費しているのだから、今更何を言っているのだと思われるかもしれないが、その話は一旦横に置いてほしい。もちろん彼女から醸し出された哀愁は体調不良による苦しさだけではないだろう。実際に高校時代のこと回想していたとみんじさんが話していたわけなのだから、様々な想いが重なった上でのあのパフォーマンスだったのだと思う。恐らくみんじさんもファンに罪悪感を抱かせたくてこの話をしたわけではない。前述の感想文の中で、憂いや表情について触れている部分を消すべきか残すべきか、何度も悩んだ。それでもやはり私があの時会場にいて、彼女から受け取った感情はすべて本物であったし、何よりも美しいものだったと胸を張って言える。その感情に嘘をつきたくないと思い、「消費」というおぞましい行為をしている可能性もすべて理解した上で、そのままを残すことにした。今回の一件で、みんじさんが求めている言葉は何だろうと考えたときに(正直、そんなことを考えても他人の気持ちなんてわかるものではないのだから不毛ではあるが)、「踊り子、とてもよかったよ。感動したよ」という率直で衒いのない言葉なのではないかと私は思う。彼女の中で葛藤が生まれていたかもしれない部分に、ずかずかと踏み込むべきではない。私が抱いた感情に一番近い言葉を選ぶ過程で、それが彼女を傷つけてしまう凶器になりうることが怖い。それでもやはり、私はぼんやりとした普遍的な言葉だけで彼女のパフォーマンスを片付けてしまいたくなかった。彼女にかけてあげる言葉はきっとそれがベストではあるのだろう。しかし私が個人として残すには、あまりにも物足りないし、絶対に忘れてしまう。そう思って、みんじさんが一生目にすることはないであろう媒体で、私の感情を記録することにした。私は、彼女を見ることで生まれる私の機微を忘れないために言葉で残し続ける。
↓以下Twitterの下書きに残した踊り子雑記スレ
思いを蹴って
二人でしてんだ
懐れない愛を歌う
言葉を二人に課して
誓いをたてんだ
忘れないを愛を歌うようにね
↑冷静に考えて、この素晴らしい歌詞をみんじさんが歌った事実に日本が震撼するべき
私がみんじさんのことを好きな理由として、頭の片隅にあるのにぼんやりしていて思い出せない、でも美しいことだけははっきりとわかるずっと昔の記憶を、彼女を見た時に感じられるからなんだよね。みんじさんがもつノスタルジーが過去最高に発揮されていたのが踊り子だと思ってる。だからたくさんの人の心に響いたんだと思ってるよ
キムミンジの踊り子の良さをちゃんと言語化したいという思いはある。「儚かったね〜」の一言で片付けられるパフォーマンスじゃないから。でも同時に私の中に生まれた感情が莫大で、言葉で表せる範疇にない。言葉で表現してしまうと、その言葉が持つ意味の範囲でしかキムミンジの良さを語れない。そんなレベルにいなかったの、そんなのとうに超越した次元にいたの、踊り子キムミンジは。
一昨日初めて会ったけどみんじさんが大好きなので、勝手にキムミンジ側の歌詞だと解釈して情緒がおしまいになるの巻

今回のカバーでみんじさんの自己プロデュース能力がはちゃめちゃに高いことがわかったと思うので、今すぐADORは「踊り子 covered & produced by MINJI」のMVを出してください
みんじさんが現役高校生ではなくて、「高校を卒業してから」制服を着て踊り子を歌ったことが彼女の良さを引き立てたと思ってる。踊り子の歌詞って昔を回想しているような感じだから、その雰囲気を忠実にパフォーマンスとして昇華する上で、「もう戻れない過去」が制服によってよりはっきりとした輪郭を持ったものに仕上がったんじゃないかな。
あの日東京ドームで踊り子を見て私が感じたことがすべてだから、その感情を忘れたくない。踊り子の映像を見ると「あの時東京ドームで私が感じたこと」が、「今の私が踊り子の映像を見て抱く感情」に取って代わられそうで怖い。
あの日東京ドームで踊り子を見た人の中で私が1番彼女の踊り子を愛している自信がある。(そうですか)どうしても「忘れる」という不可逆的な現象に抗いたくて、定期的に反芻して自分が書いた文章を読み返して、私が受け取った感情を綺麗なまま宝箱に入れてる。何十年先も覚えていたいよ