永遠

冬眠
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 最果タヒさんの『恋できみが死なない理由』にこんな一節があった。「一生好きは普通の好きより強いんだって思っているその根拠はなんなんだろうと思う」「その『好き』は一瞬でも持てたならそれだけで十分に奇跡的で、永遠だとか命懸けだとか一番とか、そんな飾りはひとつもいらないって思うのだ。」私はなるほどと思った。「好き」の修飾語として「永遠に」「一生」などとつければ、それは単なる「好き」より尊くて、強いものになるのだろうか。

 私は永遠なんてこの世に存在しないと思っている。この年になって永遠は存在するのだと盲目的に信じている人の方がきっと少ないだろう。大人になっても永遠は存在すると本気で信じている人がいたならば、私はその人に、それは永遠が存在してほしいだけなのではないですか?と聞かずにはいられない。そもそも永遠とはいつまでのことを指すのだろう。いや、これは愚問で、いつまでという際限がないのが永遠であるのだが、以前「死ぬまで覚えていたのなら、それは永遠」という内容のツイートを見かけて、なんとなく納得したのを覚えている。人は当たり前に変わりゆくものであるし、同じ何かを何十年も好きでいて、忘れないでいることはこの上なく難しい。だからこそ、死ぬまで記憶として残っていたのなら、それは永遠なのかもしれない。私は以前noteにも書いたが「命尽きる瞬間まで覚えていること、思い出せること=永遠」と定義するのが、無常のこの世の中においては一番現実的なのだろう。

 テヒョンさんが「僕は永遠なものはないと思いますが永遠を願う気持ちはあります」と言ったことが、私にとってどれだけ救いだったのか、彼に伝えたい。「僕たちとMOAは永遠です」と言うこともできたはずなのに、そんな気休めでしかない、虚空に放たれてしまう言葉を軽々と口にしない彼を見て、静かに、温かい何かが私の中で溢れた。曲の中で永遠を歌っている彼だからこそ出てくる言葉が、私には途轍もなく強くて頼れる言葉に思えて、本当に、永遠を証明できたらどれだけいいだろうと、涙を流すことしかできなかった。本当の意味での永遠などないと頭でわかってはいても、それを真っ向から否定して、やっぱり死ぬまで覚えていられたのなら永遠だと叫ぶ私もいる。きっとそれはどちらが正しいわけでもなくて、同時にどちらかが間違いというものでもない、と私は信じたい。

 アイドルとファンという関係において、永遠などという言葉は薄氷のようなものでしかない。ファンが「一生好き!一生○○(ファンネーム)!永遠に!」と書いているのを見ると、そのあまりの純真無垢さに、私にはもう抱くことできない美しい感情に、涙が出てくる。永遠に好きも一生好きも、普通の「好き」と何ら変わらないのかもしれないが、それでも私は、永遠を信じたいくらいに、人生を共にしたいくらいに好きでいる、という人たちを愛さずにはいられない。お互いが永遠を信じたいと思っている間は、確実に永遠はそこにある。私の大好きな白昼夢さんの言葉を借りるなら「刹那的な永遠を紡いでいきたい」ということである。

 死ぬまで覚えていることが永遠なのなら、それ以上の"forevermore"を彼ら、彼女たちに授けられる方法を、私は探したい。

@her_eyes
残したいこと。 note : note.com/her_eyes