2023年の年明け、はじめて瞑想に出かけた。
出かけたというのは、10日間みっちりと実践するヴィパッサナ瞑想というものへ、だ。
ヴィパッサナの詳しい方法などは他に任せるけれど、そのときはじめて、自分にとって「静かに座ること」それ自体がかなり大きな助けになると体感したように思う。
帰り際、なるべく朝晩1時間ずつ座ると良いと言われた。
瞑想という行為自体そこではじめてやったくらいなので、日々の生活の中で同じように座ることはかなり至難かもとやや尻込んだ。だけどやらなければ。なんなら何より大切かも。慌しい日々の波にのまれながら時間をみつけては座り、1年を過ごした。
おそらく波の多い年だったように思う。
それから2024年の年始「これはまた行かなくてはいけない」と使命感すら感じ、初回と同じ時期に10日間のコースに参加した。
その10日も最初とはまた違う気づきの応酬で、忘れていることの多さに衝撃をうけつつまた座ることの肝要さを再確認して帰路についた。
それから約3月。
隙を見つけて座ってはいるけれど、まだまだだ。きっと終わりなどないのだけれど、平静さを保ち続けることや、事象を観察すること、シンプルなことでも人は忘れてしまうのだとぐっと内省している今だ。
一回目も二回目も、ひとりの人間の生の中で間違いなく革命的な瞬間だったと言える。けれど、それで何かが一瞬でガラリと変わるわけではない。
世界は自分で作っている。
考え方の癖で世界を歪めてしまっていることがたくさんある。何十年もかけ、何なら苦労までしてつけた癖はなかなか取れてはくれないし、まずそこに「気がつける」までがすごく遠い。
でも答えはかならずここにある。だから静かに座るのだ。
平らかに静かに座ることが物事を見つめるのに最適だから。
一日一日、遠くを見ずこの一歩をみつめる。
革命は一歩ずつ、そしてこの一歩が革命であれと願う。
なるべく愉しく、と心掛けながら。