本日は映画界の米津玄師みたいなところがあるシックスセンスを見たので、なぜ映画に手を出してみたのか、そして雑感について語っていこうと思う。
まず、自分は映画というコンテンツをあまり消化してこなかった人間である。見たことを記憶してるのは「バックトゥーザフューチャー」と「ニューシネマロマンス」と「タクシードライバー」くらいで、結構疎い。それらを見たきっかけというのもたんにロードショーでやっててかつ、それのパロディなどを知ってるため聖地巡礼みたいな形でみたので純粋な鑑賞という感じではなかった。そのため、映画という割とカルチャーの中で大きな部分を占めてるものをまともに鑑賞してみるかという気持ちはあった。
第二に最近のアニメを見てると流石に頭が悪くなるんじゃないかと自分でも疑い始めている。アニメを見ると快楽物質は出るし、なろう小説に自己投影して自分をザックスと勘違いしたクラウドですらないモブとして楽しんでいるが、露骨にローコンテキストで表層的な楽しませ方ばかりに意匠を凝らすものばかりで、摂取しながら「流石にやばいんじゃねぇか」という感覚になり、同じ映像媒体でありあまり掘ってないメディアである映画に手を付けてみた。
というところまでが映画を見てみた動機で次からがシックスセンス、ないし映画というメディアに(ほんの少し)触れて感じたことを述べていこうと思う。
映画という媒体に触れてみて感じたこととして。まず、退屈な時間がめちゃちゃ多い。現代病だと思うのだけど、例えばゲームだと常に敵や自分が動き回って攻撃を当てたり防御したりするし、アニメだと声優はやつぎばやに喋り、間があると絵の女の尻と胸や媚びた表情がアップになる。映画は1時間40分と決まっており、三幕構成が信仰されているので分単位で起承転結が起こる時間が指定されているものだから普通に無言のドライブのあと顔を擦るみたいな時間で2分使ったりするし、何かが起こる前にクソデカオーケストラで示唆する時間が長過ぎて逆に冷めてしまう。しかも、三幕構成でカッチリしているので伝えられるカタルシス自体はかなりタイトで割と要約しようと思えば3行になるように作られている。
つまり映画という媒体に対しての感想は「尺稼ぎが退屈」,「時間に対する物語の密度が薄過ぎる」ということなのでつまり退屈だ。ただ、昔みた「ニューシネマロマンス」はちょっとした時間も退屈しなかった記憶がある、ディティールに凝ったような例外的な物もあるのだろう。
シックスセンスについてだが、まず言っておきたいのはこの作品に対する先入観みたいなのはマジでない。なぜなら映画に関する話も聞いたことないし、この作品の評判は有名なことしかしらない。これとショーシャンクの空とファイトクラブがよく列挙されているなーという程度の印象だ。
シックスセンスを見た感想としては王道だなぁと思った。大筋は治療に失敗した小児精神科医のマルコムは大人になった患者に銃殺され、教会で幽霊の見える少年シアーと幽霊として出会うことになる。しかし、マルコムは自分が幽霊になったことに気づいておらず治療に失敗したことを後悔しており、シアーを救済しようとする。そして最後に救われたシアーの告白によって、マルコムは幽霊であることに気づき、妻の前で一人の少年を助けられたことを誇りながら成仏していくという話だ。
やはり映画界のAdoみたいなところがあるので、本当にThe王道で進んで行くのだが自分が好きだなぁと思ったのは細かい設定を利用したギミックみたいなやつ。幽霊は自分に都合がいいものしか見えないので、マルコフ視点の僕たちは幽霊視点のメタファーみたいなのがちょくちょく見れる。あと絶対制作アメリカだろって思ったらアメリカだった、必ず困難が正面から突破されるジャイアニズムをヒシヒシと感じた。具体的なシーンとしてはアーサー王の演劇発表で子役のいじめっ子が別役で出てくるんだけど、シアーが埋められた剣を抜くシーンでその子役を圧倒するみたいな。あと精神障害の娘に親が洗剤混ぜるやつ夫デスブログを彷彿とさせたなーという感じ。
総論としてマジで映画ってやつが大体こんなノリなら普通に1.5倍で見ようかなってめっちゃ思った。先生の授業みたいな。教科書だとすぐ読める範囲を板書して40分にするのが授業で、脚本だとすぐ読める範囲を1時間40分にするのが映画みたいな。とりあえず今回はそんな感覚を受けました、この先入観が抜けるような映画があればいいのだけど。