まるで雪みたいだと思った。少女たちは絵という表現で言葉にならない自分を伝えたいという思いと年月を重ねていく。人は作品を見る時にメッセージがあるのではないか?と考えたがるが、それは読み手のエゴな気がする。川のせせらぎが心地いいことにイデオロギーなど不要なのだから。
芸術というのは不思議で、なんだかわかった気がする。それを安直な言葉にしようという試みはしたくない。なぜなら言葉でないものを贈られたのにそれを独り言で返すのは変な話だからだ。ルックバックはタイトルと対照的にただ流れていく作品だと感じる。これは映像を見ているのと近しい感覚で、確かに逆再生は出来るんだけど物語は決定されていて不可逆だ。
時間が普通に流れるのなんて当たり前だろという人もいるかもしれないけどそんなことはない。サザエさんは無限牢獄にいるし、成長を表す作品は局所にターニングポイントがあってそこで劇的に変化を遂げるという構造がマスだ。
藤本タツキの作品チェーンソーマンのハロウィンはルックバックと近しい感性を覚えた。ハロウィンは宇宙の全てを知りながら「抗うことができず全てが流れていく」という考え方をもつ。その中で死が『まるで雨が降ったかのように』"起こる"のである。それに対して我々はあまりに無力でそして時間は我関せずと流れていく。しかし、少女は絵で人が笑えること、泣けること、喜べることを知っていた。だから、ほんの少しの人にでも伝わるように漫画を描き続けるのだった。