自分も見てもみんなを見ても人間というのは刷り込みから一生逃れられない運命なのかなと思う。この資本主義に生まれたら、人間も資本を産む機構だし、そうすると人間はナラティブな感性の交わりじゃなくて価値と価値を比べ合うだけの機械化した人間関係が構築されていくだけだ。
その価値化された人間であることから逃れようという反動的な動きが、僕の社会への恐怖の根源にあるとしてやはりそこから逃れることは出来ない。その反動的な部分のみが僕の人生そのものであって、アイデンティティになっていくからである。
そう考えるとやはり僕は社会の中でしか生きていくことができない気がする。部屋でひとりぼっちでもやはり社会で生きているのだ。