この人がこれをしてるのは「好きだから」なんだろうな、という推測が目につく。Youtuberなどが好きなことで生きていくだの喧伝してるので勘違いしているのだろうが。怒っている人も好きだから怒っているわけではないし、赤ん坊も好きだから泣いているわけではない。そもそも人間の動機というのは要因が絡まりあって複雑になっており、単純に理由を言葉にできるようなモノではない。
むしろ好きじゃなくてもやることに価値を見出していたら、進んでやるようなこともあるだろう。仕事だったら金銭的な価値や安穏があるかもしれないし、絵や音楽を作る人もそれ自体がずっと楽しいってわけはない。どっかで嫌になったり投げ出したくなるのを堪えてやってる人が殆どでありそれを「好きだから」と形容するのは語弊がある。
またこの考え方の裏目で「もしかして自分は〇〇を好きではないんではなかろうか」と考える人もまた多い気がする。自分を単純化しすぎなんだろう。むしろ怠さや厭な感情の波が来ても継続してる時点で好き程度ではない価値をそこに見出していると考えるのは如何だろうか……