くっそ寝てたら2/3になってました、みなさんおはよう。とりあえず、稀代の冷笑家あかつばき先生の凍結に際してブームである「冷笑」について考えてみることにする。しかし、あかつばき先生は特に差別・暴力的発言・陰謀論の拡散などは行なってなかったので、本当にたくさんの人間が嫌ってスパブロしたということになるのですごい。
「冷笑」という言葉は正確に定義されたものではなく俗語なので、大体どのように使われてきたか列挙すればなんとなくの性質を把握できるのではないかと思う。最初に見かけたのは政治クラスタで、党派性から一歩引いたような意見に対してよく投げられていた。政治クラスタの人間は基本的に政治の知識がないので、人間的な社会性とその攻撃性以外の手段を保有しておらず、グループから離れる人間に石を投げる言葉を欲していた。
おそらくその波及で顔面が曲がったカルチャーヅラしたオタクが引用し始めた感がある。アニメなどどう考えてもカルチャーではないだろうと思うのだが、卑俗な脳みそに自分は優れているという確信+文系というカスのようなミックスがTwitterではそこらへんで見かける。なぜなら暇だからである。このへんから「冷笑」というマイナスな意味を持つ文字記号という形をとり、実質的な意味は無くなった記憶がある。というのも、政治クラスタでは「手を動かしてる我々」に口だけは出してくるという立場的な優位性が成立していたが、アニメオタクはエロ絵でオナニーしているだけで主体的であるという優位性を確保してる人間なんていなかったからである。
その矛盾にサブカルヅラ文系オタクも気づいて、冷笑という言葉を自分に使い始めたり淫夢厨のごとくミームのように扱い始めるが、だんだん冷笑という言葉が浸透していくうちにパンピー層が利用し始めるようになる。こんなくだらない言葉を遅れて使うアホなのでどのように用いるかというと「長文でなんかツイートしとるやつ」が冷笑者になった。ツイートの内容は問われない、彼らにまともな読解力はないので長ければなんか冷笑なのである。
という感じで、冷笑の俺が眺めただけの流れはこんな感じだった。少数派は常に割を食うので、まぁ税金だと思ってレッテル貼られるのが正解だと思います。