順調な生活には基本的に主体意識・メタ的な視点というのは存在しない。楽しかったころの記憶が他人のもののような異物感を帯びるのはその為だ。
人間はどこかで「自分はこういう人間だ」と再定義する。これは苦痛な社会や周囲から空気のように認識される自己という状況において発動される防衛本能だ。
〇〇な自分が好き、という人間がSNS上でも現実でも跋扈するのはそれは周囲や社会は自分を表明する行為でありこれはいわゆる不健全なアイデンティティの表出である。
アイデンティティ自体は産業社会において資本を生産する資本としてみなされ競わされた人間の逃避先として存在し続けているが、SNSの台頭によりアイデンティティ集団は群れるようになった。
〇〇が好きな自分が好きな人間同士を相互的に好き(これは便宜上のものであり、本質的には自己愛である)を交換しアイデンティティを強めることにより蛸壺化が進行していく。
ここで本当に取り上げたいのは不健全なアイデンティティは克服されるものであった、という既成概念が崩壊しつつあることである。SNSの台頭により、自分のアイデンティティを否定しないものだけで集まり、その中で通じる暗号"ミーム"を用いて巧みに自分の人生で負った傷から目を逸らすのである。