五月とは思えないような強い日差しの中、遅い昼餉を探しにフラフラと道を歩いていたところに、その店は唐突に現れた。連休に、特にこれといった目当てもなく観光しにやってきた当地は、昭和か平成の一時期は栄えたであろう観光地といった趣で、かつては客の出入りがあったらしき店も、ホテルも、土産ショップも、尽く廃墟となって潰れていた。割れた窓ガラス、まるで夜逃げをしたかのような状態のままとり残された、埃を被った家具たち。比較的新しめと思われる看板を掲げた蕎麦屋も、一度潰れたが再度居抜きで入ったであろうカフェも、一年でとりわけ盛況が見込める期間にもかかわらず、ピシャリと扉を締め切っていた。
どうにも食事にありつけそうにないなと半ば諦めかけたその時、ひしゃげた店の一群から少し離れたところ、幹線道路の脇に「珈琲と諸国民藝」の看板が掲げられているのが目に入った。店の名前が美しい書体で木に彫られていて、相当な年季を感じるが、滋味深く、古臭さを感じさせない。それにしても暑い。コーヒーでは腹をくちくすることはできないが、とにもかくにも日差しから逃れて少しの涼をとろうと店の中に入ると、所狭しと並べられた民藝品の数々が極彩色で目に入ってきた。菅笠や蓑、ひょっとこ、子供向けの玩具、番傘、ガラス細工、書籍、大小さまざまな置物、文具小物、南部鉄器、達磨、ちょうちん、五月人形。若い女子に受けそうな雑貨や小物、果てはご当地萌えキャラグッズまで置かれている。店内は天井が高く、薄暗く、いかにも昔の家といった風情だ。
「いらっしゃいませ。全国の民藝品を扱っています。上では軽食とコーヒーもお召し上がりいただけます」
丁寧な挨拶で出迎えてくれた店主は、60代半ばから70代前半といったところ。よく響く心地の良い低い声、シルバーヘアが深い微笑になじんでいて、まるで民芸品の纏う空気が、そのまま人の形になったみたい。民藝品は、物に魂が宿っていると人びとが信じていたころを彷彿とさせるが、彼はその時代に属する種類の人間のようだった。勧められるがままに、中二階へ上がる階段を歩くと、壁一面にこけしがずらっと並んでいる。小指のさきほどに小さいものから、小さな子供と同じくらいの大きさのものまで、伝統的な絵付けのものから、現代ふうの見た目のものまで、こけし、こけし、こけし。思わず圧倒された。私は日本人形が怖いのと同じ理屈でこけしも少々苦手だが、しかし、不思議と怖い印象はなかった。むしろ素朴で美しい机や椅子を背景に、博覧会、博物館の様相を呈している。
この中二階は、元々はなかったようだ。店のスペースを増やすために後から増築したせいか、席に着くと、太く立派に組まれた天井の梁がちかい。鴨居には、Wifi OKやwatch your headなどと書かれた張り紙がしてある。海外からの客が来ることもあるのだろう。案内された席の卓上に書かれた食事メニューは1つで、あとは甘味が数種類。唯一の食事であるすいとんと、名物と銘打たれた温泉卵のアイスクリームを注文した後、改めて店内をぐるりと見渡した。古今東西、ありとあらゆるものが、店内の棚と壁を所狭しと埋めている。半地下になっている下の階には職人ものの食器や布製品が置かれていて、店の奥にはスリッパに履き替えて上がると見ることのできる、骨董品もあるようだった。喫茶スペースの壁際はガラス戸になっていて、少し開いている隙間から、涼しい風に乗って微かな硫黄の匂いが漂う。周囲一帯がそうだった。当地はいまはひと休みしている火山群、温泉地として有名で、山肌には安山岩質の岩がゴロゴロと転がり、硫黄臭の風が絶えず吹きつけていた。
「お待たせしました、すいとんです」
しばらくして年配の女性がトン、と食事を目の前に配膳したのを見て、思わず息を呑んだ。美しい。一等最初に目に入るのは、大きな碗。ところどころ剥げている箇所があるが、丁寧によく使い込まれた木製の椀が、同じく木製の盆の上にどっしりと鎮座している。なかには、薄く切られた長ネギと蓮根色のすいとんが、透き通った汁にぷかぷかと浮かんでいる。その隣はらっきょう、牛蒡、大根の漬物。奥側に置かれた、黒く厚みのある鉢に、牛蒡味噌の蒟蒻田楽が二ツ。そして盆の外、青磁色の別皿の上には、笹の葉に包まれたおこわと花豆。何もかもがきちんと収まるべきところに収まっていて、シンプルなのに美しい。まるで昔、まだ人が足を使って土地を巡り歩いていたころに、峠の茶屋で供されたような食事の風景が、目の前に広がっていた。
陶器製の箸置きに横たわる太めの素朴な箸を手にとり、まずは一口、汁を啜った。思わず頬が緩む。飛びつくようなうまさ、というのではなく、じんわりと滲み入る美味しさ。手間を惜しまずきちんと出汁をとっている、丁寧な仕事の味がする。飲めば飲むほどうまい、いくら飲んでも飽きがこない。そこにすいとんを放り込む。里芋のような口当たり、何か根菜類のような風味が微かに感じられて、澄まし汁の旨味に、実によく馴染む。続けて漬物を一口。コリコリとした歯応えに、ちょうどいい按配の塩加減だ。おこわはどうだろう。笹の葉を開くと、草の香りがさあっと鼻先を通り抜ける。少し青臭く、爽やかな風味がおこわのもちもち加減と相まって、いくらでも食べられる。花豆は微かな甘さで、食事の箸休めにちょうど良い。水を飲み、一呼吸置いて、蒟蒻を食べる。ああ。味噌味にも拘らず、牛蒡の風味がしっかり生きていて、蒟蒻によく合っている。
凡ての料理が美しく整えられ、目にも口にもおいしく、食べながら笑みが溢れる。なんて幸せなんだろう。この誠実な味は、食事を考えた人、作った人、出した人びとの実直な人柄を食べているのだと思った。こんなに一口ずつ、慈しむように食事を口に運んだのは、いつぶりだろうか。最近の不摂生が思い起こされて、日々の生活の杜撰さが身に染み入る。
と、そこへひとりの少女が、老婆と連れ立って店に入ってきた。
白いワンピースに、それ以上に透き通るような白い肌。店主とお久しぶりです、という挨拶を交わし、少女は嬌声を上げながら店のあちこちを小鳥のように駆け回って見ている。老婆はそのあとを少し置いて、ゆっくり歩みを進める。しばらくすると店主が2人とともに喫茶スペースに上がってきて、壁の、隅っこの方に掛けられた記念写真の数々の解説を始めた。店に訪れた往年の有名人、少し盛況した時に来たリポーターやアナウンサーとの写真、ラジオ番組に取り上げられたときのこと。老婆は熱心に聞き入っているが、少女はまた陳列棚の間をひらひら行き来して、私、こういうのだあいすき、などと言っている。しばらくすると、少女が一段と高い歓声を上げた。「ナンナ、ナンナ!見てみて!あのあかいの、すごい!」開け放たれたテラス窓の隙間から興奮冷めやらぬ様子の少女の足元をみると、庭の岩々の間に、確かに小さな紅い点の連なりがあった。それはいわゆる硫黄苔と呼ばれるもので、一見すると小さいしめじのような見た目、柄が伸びていて、カサの部分が朱色をしている。苔という名前が付いているが、実際には菌類と藻類が共生関係を結んでできた地衣類だ。しかしあまりに紅いので、まるで冗談みたいだった。いろいろの深い緑が重なった景色のなかで、まったく現実離れして見える。少女も不思議さに魅入られたのか、しきりにすごい、すごいと言って店内をぐるりと見渡した。老年の店主と老婆では、たとえ感動してもその質がちがう。反応のうすい2人に囲まれて、彼女は興奮を共有できる仲間を探し求めたが、目に止まったのはぼうっとした中年の女性、つまり私だけだったので、ふたたび紅い景色に舞い戻った。
その少女の一連の動作を見たとき、私の胸の奥に、鈍い痛みが走った。
私は、かつてあの少女だった。いや、心の中では今もまだ彼女だ、私はその紅さに心奪われているし、同じように興奮もしている、しかしそれを見てはしゃいだり、しきりに叫んだり、感動を共有できる仲間を探したりはしない。ひっそりとその紅を、心の中にしまっておくだけ。そうしていま、1人クーラーの効いた部屋で文章をカタカタと打っているだけ。私は本当はあの少女と友人になりたかった、そして多分あと10歳若かったらそうしていた。実際に昔は、混み合った新幹線で連結部に一緒に乗ったチンドン屋の女性と2時間ずっと話し込んだり、大陸を徒歩で横断している冒険家と友達になったり、中年のバンドマンと吉行淳之介の小説について語ったり、そんなことをたくさんしていたのだから、きっと目を輝かせて少女と話すことだってできた筈なのだ。なのにしなかった。だってもう彼らとは連絡を取らなくなって久しいから。彼女とここで意気投合したところで、それだけで終わってしまうのは分かっているから。その出会いの一瞬の美しさより、関係が続かないことの儚さを、切なく感じてしまうから。
食事と一緒に頼んだ温泉卵のアイスクリームは、変わった食感で、美味しいといえば美味しいけれど、食事ほど感動する味ではなかった。冷たくなった口を珈琲で癒そうかとも考えたが、あの白の少女と硫黄苔の紅のあとでは店内の明度が微妙に変化して、私はもうこれ以上ここにいるべきではないと思った。少女は相変わらず嬌声をあげて、店主に勧められるがままに老婆と甘味を待っている。私はこの店が、店主が、少女が、大好きだと思った。人の息遣いが感じられる民藝品も、それを作った人々も、この土地も、文化も、歴史も、日差しも、空気も、水も、すべてを愛している。この店にはおそらく、人生でもう二度と来ることはないだろう。しかし私は今日見た美しい景色のことを、絶対に忘れない。外に出ると、世界は一層暑くなっていた。変わらず硫黄臭の風が鼻先を流れていく。古びた家屋を背に、私は再び歩き始めた。