夢を見続けるというのは、悪いことなのだろうか。
夢を、最期まで全うできるのなら、それほど悪いことでもないような気がする。最悪なのは、死の間際になってから漸く気がつくことだ。自分の人生は意味がなく、本当に何でもなかったのだと。
そもそも人生に意味などない、死ぬまでの暇つぶしだという思想もある。しかし私は知っている、人生をそう表現する人でも、周囲に自らの存在をアピールし、何とか認めてもらいたい、後世に何とか爪痕を残したい、と必死に足掻いている。生物として当たり前のことだ。人は子どもを持ったり、未来につながる大きな仕事をしたり、語り継がれる物語を生み出すことなどで、自らの存在価値を、この大地に刻みたいと思うものだ。
そしてそんなちっぽけな野望を横目に、時は容赦なく流れる。まだまだあると思っている時間は、気がついたらもうなくなっている。朝起きてから夜寝るまでからしてそうだし、2、3日の休暇もそうだ、そして人生の時間も、全く同じ仕組みなのだ。
ここに1人の男がいる。彼もまた、輝かしい人生を夢見て今まさに一歩を踏みださん、というところから話は始まる。彼はまだ望めば何にでもなれる年齢だ、しかし彼の職場、国境の砦に配属されたことが、その後を決定づけてしまう。その砦は、かつては戦略的に重要だと考えられていた頃もあったようだが、今やすっかり忘れ去られた骨董品。砦の向こうは漠々たる砂漠が広がっていて、見渡す限り何もない。ただタタール人がいるのではないかという、伝説のような話だけが、軍人たちの頭の隅っこを占拠している。あまりに何もない、しょぼくれた拠点なので、もちろん主人公はそこからの脱走をまず試みる。しかし上司に慰留されたり、ふと思い直したり、抜け目なく立ち回った同僚に先を越されたりして、砦からなかなか出られない。
出られないというより、途中からは半分出たくない、という気持ちも混じっている。だって彼はある瞬間に心を囚われてしまったのだ、荘厳な自然の幻想的な美しさ、そしてその風景を額縁にして、規則的に振る舞う軍人たちの誇らしい美しさの絵面に。夢を見てしまったのだ、いつか万が一来るかもしれない敵に備えて、ただひたすら国境を守るために、軍人としての日々を怠らないという崇高な使命に。
たまに休暇をとって、実家のある街に帰ることもある。しかし、何もかもがうまく馴染まない。母親はもう自分のいない生活に慣れてしまっているし、ちょっといい雰囲気だった女の子や、かつての友人たちとも話が合わない。そりゃそうだ、若い時分に、一般の生活を送っている彼らと、辺境の砦に缶詰になっている兵士との会話が噛み合うわけがない。ただ環境が違うというだけではない、見ている世界自体が、もう全く異なってしまっているのだ。この気持ちが私には痛いほどよく分かる。ある時期に、人生を塗り替えられてしまうような経験をし、そしてそれが習慣になるくらい長い期間続くと、周囲との違和感が強すぎて、会話を合わせるのもやっとだ。多分いくらでも普通の場所に引き返せるチャンスはあったのかもしれない、でも今さえ我慢すれば、今日さえ乗り切れば、がずっと続くと、やがてその環境自体が自分の故郷のようになる。そして気がつくともう何もかも違っていて、元の自分からは随分離れた遠くの方まで来てしまう。
日々の生活の労苦や子ども、家族の話、知り合いの近況などを聞かされても、戸惑うばかりだ。普通に恋愛して結婚して家を建てて、という話は自分とは何の関わりも持たない。
もちろん皆と同じになりたいという気持ちはある。だって私たちも元々は、そちら側にいたのだから。皆は言うだろう、じゃあ戻ってこればいいじゃないかと。しかしそれができない。どうしてもできない。こればっかりは不可抗力としか言いようがない。だって、我々は砂漠に恋をしてしまったのだ。主人公と私は、何もない生活をしているからこそ、その虚しさを埋めるために、何もない砂の平原から、何か素敵なものがやってくるという白昼夢を、ずっと見続けている。そこに一筋の希望を見てしまったのだ、全く希望がないわけではない、少しだけの希望があるのが、実は一番タチが悪い。もう少し、もう少しとその夢を追い続けてしまう。
側から見れば、単なる狂人だろう。可哀想な精神の持ち主。多分それは正しい。しかし私の夢は何も生み出さないが、彼の場合はそれが仕事として成立してしまった。夢が現実に日々の糧となり、位も上がり、多少なりとも敬意を払われる存在になる。そしてそうやって日々を送るうちに老いていく。病を得る。歳をとると、これまで当たり前に享受していた健康を目指すことになる。肉体はもちろん、精神的にもだ。もう選択するしないの話ではない。今までいた環境に何とかしがみつくようになる。
残酷なのは、そういう状況下であわや夢が叶いそうになったにも関わらず、もう身体がいうことをきかなくなってしまったということだ。人生を賭けた夢に、彼は勝つことができなかった。そして、死が訪れる。自らの命を戦場に捧げた者にも、普通の生活を送っている者にも、単に年老いてひとり逝く者にも、等しく訪れる機会、人生の総決算。夢から醒めて、孤独を深く噛み締める。最期の戦いだ。誰も知らない、誰ひとり目撃しない、1人だけの戦い。彼は、微笑んだ。己の人生をかけて、心を奮い立たせ、最期に微笑んで、従容として死に臨んだ。それは彼の誇りだ、もう随分古びて、何の役にも立たなさそうな顔をして頭の隅っこにいた誇りが、彼の最期を助けたのだ。
読んでいる間、全く他人事のようには思われなかった。私もきっと彼のように、ひとりで、孤独な戦いを迫られて、死ぬだろう。しかし彼の最期を想像して、私の最期を想像して、意外と悪くないな、と思った。夢を見られた、きっとそれだけでもよかった。たぶん人生は、それ自体が一つの夢なのだ。願わくば、最期の眠りにつくとき、私も微笑んでいますように。そしてそのためにできることを、なんとか全うできますように。