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 嫌なことを忘れる能力が高い───というのはどうやら自分の性質で、かなり助かっているところなのだけれど、おかげで二十代の頃の記憶がほとんどないのは少し残念である。嫌なこともたくさんあったけれど、それと同時に楽しいことや嬉しいこともあったはずで、しかしそれらがほとんどまるごととっぱらわれている。写真を見てやっと思い出したりするけど、それもだいたいは曖昧で、普通は皆どれくらいのことを記憶しているのだろうかと不思議に思う。二十代は、安心してはそれを壊されて傷つき、安定したころに壊される、その連続だった。自分が、自分を含めた誰をも傷つけずにあれを手放せたのは本当に良いことだった。三十を迎える直前だった。でももっと早く捨てていいものだったと今では思う。

 この前下の子が誕生日を迎えて、今月は上の子の誕生日が控えている。ほとんど失ってしまった記憶の中、このふたりが生まれた日の記憶だけは鮮明でよかった。

 子供たちにはいつも「みんな違うから」ということを言っている。顔かたちが違うのと一緒で、考え方も正しいと思うことも違う。うちらは家族だけど、たまたま家族ってだけでわたしとあなたたちももちろん違うから、わたしはお母さんだけどわたしの言うことが全部正しいと思わなくていいよ。そう言うと、「好きな食べ物も違うもんねえ」と娘。娘は小さい頃からずっとアイスクリームに支配されているし、息子は自身をグミ星人と言っている。わたしは冷たいスイーツには昔から興味がないし、グミも食べない。

 一昨年の話。祖母が亡くなって、そのお葬式の帰り道のタクシーの中で、祖母の棺にイチゴを入れた話をしていた。親戚仲があまりよくない、というかめちゃ悪いので全然知らなかったが「おばあちゃんイチゴ好きだったんだね」と私は言った。祖母が眠るまわりにしきつめられたお花と、イチゴ。なんかかわいいね。たしかに。好きな食べ物入れていいのかな? うん、てかむしろ好きな食べ物入れるんでしょ。じゃあ私は……「ヤンニョムチキン?」当時すごくハマっていた食べ物を言って、自分の遺体のまわりにヤンニョムチキンが置かれるところを想像してゲラゲラ笑った。「あんま可愛くないね」って娘も大喜び。すると息子が「彩いれたほうがいいんじゃない? ブロッコリーとかトマトとか」と言うものだから、面白くて「いや弁当じゃねえんだわ!」と言ったらタクシーの運転手さんまで笑い出して面白かった。

 とりあえずみんな違うと言うのは当たり前なのにかつての私が理解できなかったことで、今思い出すとちょっと恥ずかしい。「こうあるべき」みたいな基準が強くあって、違うと思ったらたちまち嫌になっていた。何かを嫌いになるって本当に余計なエネルギーを使うし、そもそもストレスだし、なるべくそう言う状況は避けたい。自分が知らないいろんな正解があって、世界は様々なカラーが複雑に混ざり合い、グラデーションとなって隅々まで満ちわたっている。これにやっと気づけたとき、わたしはたぶん嬉しかった。今ではそういう世界が心地良い。子供たちにはその中で自分が好きだと思う道を選んだり作ったりして進んでもらいたい。

 子供たちと自分が同じくらいの頃の記憶がわりと近い気がしているのはけっこう早く産んだからなのかな? ついでに二十代の記憶がとっぱらわれちゃったせいか十代の頃が鮮明。つまり若さゆえのあやまちとか悶絶するような恥ずかしい記憶はめっちゃある。というか恥ずかしい記憶こそ忘れたいんだけど、いいかんじにしくじり先生やってあげられるところはよかったかもとかこれを書いていて思い始めた。そういえばこの前自分が学生時代の日記を見つけて、なんじゃこりゃやば!と思いながら子供たちに内容を喋ったら死ぬほど笑ってたわ。人に言えない黒歴史も成仏させてくれてありがたいな。中学生の頃の日記の一人称が「おいら」だったんだよね……さすがに誰?