憂鬱、腹痛

hi_ro
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憂鬱が止まりません。二日前の飲みが全ての原因です。その前日、金曜にお誘いを掛けて初めて断られたんですが、明日なら空いてるのでどうでしょうというカウンターを嬉々として喰らい、是非、とお答えした訳ですね。しかし私も相手も金曜に飲んでいたのであまり飲みへのモチベは高くない。私が結局金曜誰と飲んだかも一抹の憂鬱でもあります。割愛。飲みへの意気込みが二人揃って薄い中で飲んだのもあってどこかクールな雰囲気が、いつも通りと言われたらそうなんですが、話題も特にある訳でもなし、これもまたいつも通りの事ですが、マ、そういうどこかスカした空気感だったんですね。横の席に居たカップルが、カップルじゃないのに生々し過ぎたのも会話に集中できなかった原因でもあります。そういう空気感で馴染みのシーシャ屋に行き、今日はずっとこの空気感だと中々来るものがあるな…と思っていたらここで偶発的に互いの哲学トークが噛み合い面白くなってしまった。私の陰鬱とした哲学が愉快らしい、彼は。そのちっとも愉快とは言えない哲学と私の生きづらいだろう在り方を聞いた彼は「貴方は宗教が向いている」と仰った。しかし私は全く宗教に向いていない。私の神は私の中にしか存在しないから。そも、あれ程の人生のどん底を未知のめくるめく、神のお力としか言えない何某かで急激に救われたならその存在を信じてもよかった。でもそんな事は無かった。きっちり人の身には十二分に長いと言える時間を最低の気持ちで過ごして、最後は自分で折り合いを付けた。そういう自負がありますので、宗教には全く向いてない訳です。閑話休題。そう言われたのでいやあ向いて無いですよ、宗教なんてモンは…と返し、また優生思想だの倫理学だの進化論だのの話に戻り楽しく閉店まで過ごしたのち、定番のもう一軒を挟みに行きました。飲み物を頼んだあと、彼が不意に言うんですよ。「さっき宗教に向いていると言ったけど、貴方は宗教じゃなくて、薬の方が向いている」と。その後は店の騒々しさに掻き消され何を言われたか分かりませんでしたが、恐らく、欲しいなら譲ることも…という事を仰っていた。数年前にクラブの知人が大麻の所持で留置所に行った時、その話を聞いて慌てて知人から貰ったアレやコレや、証拠を隠滅したという話を彼から聞いたので当然この人は一度は既に社会規範を犯している人なのだと知っていました。そもそも彼はカルチャーの人である。遊びじゃ無く、興味本位じゃ無く、そのカルチャーの在り方の中に完全に溶け込める狂気の人で、しかし、今も規範を犯しているとは思っていなかった。私の甘さです。好きになったものが全て私の想像した通りに、正しく在るだろうという理想論の話です。聞かなければ良かったのに、最後に使用したのは?と尋ねた。笑顔が引き攣り、視線が下を向いた、誤魔化すようにレモンサワーの取っ手を掴んでみた。「一週間前ですね…」恥ずかしげに少し小さい声で言われた時、間違いなく心臓を刺された。私は彼の哲学に敬意があった。だからこそ過去こう思うんです、ああ思うんですという話に対する「それは違うでしょう」という言葉を受け止め、頭の片隅にピン留めしていた。頭の領域を割いた。しかし、どうです?彼は言う訳です、意識の改革がある…気付きが…と。私が地べたを這いずり、みっともなくだらしなく、親を泣かせ友達を怒らせ、憧れたあの人に失望されながらも強がる事をやめられないがしかし生活はその言葉に全く追随できず、神は居ないが悪魔も死神も極悪人も居るんだと気付いたあの絶望の数年を、死にたくて仕様が無いのにどうしてか哲学と宗教と、つまり救いと祈りについて知ろうとし続けたあの茫漠の数年の結晶を、貴方は、外部から強制的に与えられた気付きを持ってして、私のあの日々を否定したの?と。到底、受け入れられなかった。貴方も同じ様に苦しみながら、それでも真摯に向き合い続けて手に入れたものではなかったのね、貴方、逃げ続けてるのね。言われた瞬間そう思った。私と同じだと思ったのに、楽なさったのね、と。勿論、苦しみながら積み上げた本物もある。規範を犯すまでの労力もあるでしょう。簡単に手に入る物でもないのは想像が付く。罪悪もあったかもしれない。しかしそういう事じゃない。人間は須く、社会規範を犯してはならない。そう在るべきだからです。なぜ人を殺してはならないのか、その問いに答えはありません。無理矢理答えを出そうとするなら、「とにかく、殺してはならない」になると思う。法を何故破ってはいけないか、様々な観点での回答がある。刑罰があるから、人を悲しませ苦しませるから…。どれも本質じゃない、しかし、破ってはならない。本質を突いていなくていい、愚直に法律で決まっているからと思考を停止させてもいい、理由は何であっても構わないから社会規範を守った上で人は苦しみ悩み楽しみ遊ぶ。それが私達に定められたルールです。往々にして、ルールを破った先には、チート的な利益があると思う。法外な利益があるから破ってしまう。その利益が物質的なものでも、精神的なものでも、そうやって得る事はズルであると感じる。"ズル"という単語を用いると、根底に妬みや嫉みがあるように見えてしまうが、そうじゃない。私は自分で苦しみ獲得したものにしか関心が無い。このズルとは"卑怯"に近いニュアンスで、全員が一律同じルールの下人生を遊びましょう、という中で、一人そのルールを破り利益を得るのはあまりに他人をコケにする行いだと思う。悪人はこのルールを遵守する人間を愚かだと思うでしょう。度胸が無い、だから搾取されるし社会的な成功者に近付かないと。しかし私はここにプライドがある。1+1は2になるし、物は重力に従って上から下に落ちる。同様に法を破れば利益がある。それでも規範の中で己を律し、罰し、最大の快楽を獲得しに行く事に私の核がある。社会規範を犯す人間が全て悪人では無い。致し方無く人を殺す人もいる。その人が居ては幸せになれない人がいる。甘んじなければならない時がある。耐える事のみが美徳では無い、しかしどんな事情があっても守るべきなのだ。その後私が何を言ったのか、あまり覚えていない。我を忘れ、激怒の目をしていたと思う。失望に言葉が詰まった。社会規範を安易に犯しに行くその姿勢に落胆し、軽蔑があった。言葉にはしなかった。軽蔑と言いそうになった、失望を伝えたく無かった。言ったらもう戻れないと思った。いつか終わるだろうこの関係が、こんなに早く、呆気なく、私の軸に触れたばかりに、私が狭量なあまりに終わりを迎える事に心臓が跳ねた。しかし、言わねばならないと思った。言葉を重ねれば重ねる程私達の断絶は深まり、離れて赤の他人の距離に落ち着いてしまう数ヶ月後の未来が怖くて堪らないのに、愛憎の如く尊敬の分だけ怒りがあって、止められなかった。私の言葉を聞いた彼は俯き続けていて、帽子の鍔で目が全く合わなくなった。そうして時間が経ち、途中で私はとても恐ろしくなった。数年前にも同じ過ちを犯した記憶があると。自分のものでは無いのに、干渉をした。結果は悲惨だった。相手から、貴方には気を許して居ます、のサインを感じ取った瞬間にこの悪癖が顔を出す自覚があったのに、また同じことをした。気付いた瞬間我に返り、冷静に相手を見れば、どうにも頬がピクピク蠢いて、頻繁に唾を飲み、明らかに追い込まれているような、途轍もない決断を迫られているような異様な状態だった。顔は鍔で見えない、しかし体に異常が起きていることは一目瞭然で、追い込んだのは私だった。同じ事を昔した。その昔が頭をよぎった瞬間口を突いて出た。待って、いや、すみません、忘れて下さい…貴方のお好きなようになさって…今聞いたことは忘れます、と。だが彼はそれを聞いてすぐさま、待って、と言った。答えを出そうとしていた。しかし私は、彼を自分の哲学で傷付けている最中から、この行いに意味があるか一抹の疑問があった。何故なら、言ってやめるような人では無いと思っていたから。紛うことなき快楽主義者で、欲に弱い人で、キッパリと辞める、なんて私を喜ばせる言葉を彼は持ち合わせていないだろうと、期待していなかった。出される答えはもう一つしかない。相手と譲れない部分がぶつかったなら、相手を切り捨てる。彼の周りにはそのカルチャーで生きる人間が沢山居て、こんな事で癇癪を起こす年下のガキの何が良い?自分にとって大した事ではないもので激怒し、失望しましたと告げる人間は随分と滑稽に写っていたんじゃないか?全てが明白だった。まだ一緒に居たかったのに、我に返り自分を恥ずかしく思う程今冷静なのに、もう駄目になってしまったな、と思った。ついでに今年はもう身を持ち崩してしまいそう、まで思考が飛んだ。誰でもいいから…と本気で思うとは…。私はいつもこうだな、こんなにも己の哲学を譲れないなら、将来誰かと生きていくなんて夢のまた夢で、孤独死でもなんでも結構だからもう早めに死なせてくれ…あの時躊躇わず死んでおくべきだった、と考えていた。彼がいつ話を始めるのか、その答えに怯えながら。待って、と答えを出す姿勢を見せて、話し始める前の癖を度々繰り返す割に話し始めない事もこの思考に拍車を掛けた。そら言葉をなぞれば「待って」と言われているんだから待てば良い訳だが、会話がキャッチボールだったとして、既に私は自分の球を投げに投げ尽くし、相手の球を待つのみであるうえに、話題が話題なもんだし、私の投げ方と来たら楕円を描いた柔らかな球とは程遠いドストレートだし、どう考えたってここがこの先二人の分水嶺であるし、時間の経過と共に緊張感は否応なしに高まり続けていた。どうにも我慢できず、合間に合いの手の如く、もう忘れて下さい/貴方のお好きになさって下さい/もうやめましょう/私も忘れます、の四つを挟み込んで球を待つも空振りし、あわよくば会話のチャンネルを閉じてしまおうという目論みは絶たれ続けた。合間合間にポツポツ会話したり、もうあまり覚えていないが手ぬるい弁解に頭が瞬間的に沸騰し、次の瞬間急速冷凍し、という完全な情緒不安定を晒し、今だから思うが、あの時間は紛う事なき地獄だった。なんならあの時も思っていた。許して欲しいと心の中で呟き続けていた。噛み付いたのは私なのに。脳内で何度か私は、私の頭をバールの様なモノで殴り殺した。後悔をした時の癖だ。ここ数年は道を歩いている時に想像する事が多い。幼少期の、無邪気な頃の自分と対峙して家族が横で見ているのを尻目に拳銃でその小さい頭を撃ち抜く想像をよくする。ものを知らず、現実を知らない、恥ずかしい無知な過去の自分を殺すと幾分気持ちが楽になる。大体は幼少期の自分を殺すが、その時は珍しく等身大の自分が出てきて、図体がでかいのだから尚更拳銃で撃ち抜くべきだろうと今思うが、まあ殺すのに時間が掛かる程反省するべきという事なのだろう。彼から目が逸らせず、しかし頭の中で三体程死体が出来上がった頃にやっと彼は口を開いた。「やめると言って、貴方はどうするの?」と。そんなもの。「しんじ、ますが?」と答えた。少し吃った。私は他の人が同じように規範を犯していたらすぐに縁を切るし、他人に期待をする事が得意でも好きでも無い。面倒事が大いに嫌いな性分でもある。つまり私の言う信じる、には恐らく彼が思うより遥かに大きな意味があった。だがそんなモノは彼の知る所では無いし、彼がそれを欲しがっているとも思わなかった。そういう、自分のプライドと彼の現実につっかえて吃った。「信じる以外できることは無いです。しかし、貴方が大変な労力を持ってやめたとて、私が貴方に差し出せるものはこれしかありません」と。それを聞くと彼は少し押し黙ったあと、「貴方に言われた事もやめる理由に含めていいの?」と聞いた。これは私が途中で、"私の意思を介在させるべきではない"という話をしたからだった。意識の改変を外部から持ち込む事に反発したのもそうだが、その人をその人たらしめるのは選択であると思う。人に命令されたから、怒られたからやめました、は一切無価値だ。決断は自分が主体であるべきだ。人のせいにしてやめる人はいずれまた始めるだろうし、そもそも自分にとって大きな決断をする時、その理由の中に他人の意思を含めれば、いつかその決断に苦しんだ時に何故自分がそれを選んだのか、自分の精神と選択にズレが生じる。そういう話をしたから、彼は混乱しながら尋ねたのだと思う。「私に言われてやめるのは、選択に私の意思が介在してしまう」と「でも私は社会規範を犯していると詰ってくるが、ここで辞めたら意思の介在という点でまた私の軸に触れる」という二律背反に彼は挟まれていた。実際は決断の主体はあなたの意思であるべきです、という話なのだが私の説明不足、能力不足が彼を矛盾に突き落としてしまった。本当に反省すべきである。説明が足りない、というか簡潔に分かりやすく説明する能力が無い事を申し訳なく思いながらも「私に命令されたからやめる、ではなく、自分でやめようと思っていたうえで、私に……心配を掛けない為にもやめる、と思って頂けたら…」とその疑問に答えた。省略したが心配云々の部分も「いや、貴方はされたいなど微塵も思っていないと思いますが……その〜つまり…心配しているんです、貴方を」と小っ恥ずかしい事を言ったが割愛。それを聞いた彼は「…じゃあ、それで」と言って、メガジョッキを傾けた。「はい、分かりました」と私も答えてレモンサワーを飲んだ。内心、こう穏やかな着地をするとは思っていなかったからアレ?と小首を傾げていたが平静を装った。じゃあまあ距離置きましょうか、みたいな事を言われるか、私がキレて帰り疎遠になるかの二択だと思っていた。静かに飲んでいたら、不意に彼が「貴方、人と話す時に自分のメリットを考える?」と聞かれた。その瞬間恥ずかしさが襲い自分のあまりの愚かさを指摘されてると思った。つまり、貴方そんな風に他人にも干渉し過ぎているの?という事だ。何を言いたいか疲弊した頭でも分かった。「…いえ、考えていません」…「昔も同じ様に干渉し過ぎて離れて行かれました」と答えた瞬間に改めて自分の行いが如何に独善的なものか気付きました。「貴方は優しいね」と言われたが、それが言葉通りなのか皮肉なのかもう分からなかった。「いえ、優しく無いです。傲慢なんです」と言った声があまりに小さくてそれも恥ずかしかった。