私は常に人間という生き物の間で使われている言葉である「乗り物酔い」のような気分をこの生涯ずっと味わってきたのです。人間にとってその状況は苦行・修行であり、また、呪いや悪夢かもしれません。しかし、約46億年生きた私にとっては息をするのと同じ事です。とは言っても私は息をしたことがないのですが。
今思えば、私は幼少期の方がかなり辛い出来事でいっぱいだったのです。母が言うには、私は多くの者たちにいじめを受けていたそうです。確かに物心ついた頃の私は体のあらゆる場所を強く打たれ熱血を流す事もあれば、ここにいる皆さまがその一生を瞬きで終えてしまう程の水をかけられた事もありました。私はそうやって大きくなっていったのです。今ではそういった事がなくなり平和に過ごしています。「そんな平和がずっと続きましたとさ。」という文章で終わらせてしまうと退屈に感じると思うので、私が最近気になったことを今から話したいと思います。
私は生まれつき地獄耳というやつで、一部の人間が、「人間は愚か」とか「人間は自分勝手」など自分を卑下するようなことを耳にするようになりました。中には人間の話に耳を傾けているこの私を「今までより優しく労わるべきだ」と、声を上げるも者いました。そんな彼らが私に与えてくれた優しさとは、私の体の周りを緑色で埋め尽くしたり。私の体についている彼らがゴミと呼んでいる物を移動させ、一つにまとめたりと、それは私にとって、とても不可解なものでした。一番不可解だったのが何故彼らは私が生きていることを知っていたのでしょう?私は今まで彼らと会話した事が無いのに。
もし私に口があったら「私に優しくしたいのであれば、どうか私とお別れしてください。」と、彼らを驚かせてみたいものです。これはほんの冗談ですが、昔の私だったら、本気で言っていたに違いないでしょう。というのも、当時の私は周りが羨ましかったのです。みんなはただ、母の周りをぐるぐるまわっているだけで、何も悩みが無さそうに見えました。それに比べて自分は小さな生き物たちに体を我が物顔で踏まれ、非常に不快な思いをしていました。
さて、思い出話はここで切り上げるとしましょう。ここまで話を聞いてくれた皆さまは、「今のあなたは幸せなのか?」と疑問に思うでしょう。答えはイエスです。なぜなら私が母に育てられたように、私も皆さまの生涯を支えていると感じるようになったからです。どうやら私にも母性本能というものがあったみたいです。この感覚が私に教えてくれました。それは、何が与えられたかよりも、与えられたものをどう捉えてどう使うかです。これまで私が悩まされてきたものは自分の考え方・捉え方でどうにでもできるシンプルなものだったのです。ちなみに私には触覚と嗅覚はないので、なおさらです。
あ、申し遅れました。私は皆さまに「地球」と呼ばれている塊でございます。生まれた世代は違えど、私の考えが皆さまを支えられる事を祈っています。