先日 𝕏で話題になっていた “琴線に触れる” の件。
わたしのもとを二度通りすぎる頃には《難しい言葉の必要性》にまで議論が広がっていたのだけど、誰かが語っていた 「自らの不快感をうまく言語化できないと、行動 (暴力など) によって解決しようとしてしまう。ゆえに多くの言葉を持っていたほうがいい」 という趣旨の意見に深く頷きながら、筒井康隆の小説『残像に口紅を』を読んだとき わたしもそんなことを考えたなと思い出した。
↓ 当時の感想 ↓
言葉がなくなると心もなくなるのだろうか。単語とともに情緒も欠け、すこしずつ攻撃的になっていくのが興味深い。
心情を注ぐ器がなければ、行き場のない思いは胸の奥で鬱屈し、無形の怒号となって飛びだしていく。だから子どもは力いっぱいに泣くのだなと思った。
自分の気持ちを重ね、はめ込み、形づくれることの大事さ。語彙量は心の豊かさに影響を与えるのかもしれない。