2023/11/19 日記

hibiki
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公開:2023/11/19

直近3日間で学んだことを冗長にまとめようと思う。

11/18,11/19の土日を使って、デジタル・デトックスを行っていた。土曜日の午前中にずっとスマホを観てしまい、相当の罪悪感に苛まれたので、思い切ってPCとスマホを手の届かない場所に封印した。

結論からいうと、大正解だった。デジタル・デトックスをすることで体感時間は8倍くらい伸びたし、何気ないことに幸福感を感じられるようになった。

主観的なデジタル・デトックスのメリットは以下の通り。

運動量の増加、集中力の向上、読書量の増加、思考の整理、体感時間が長くなる、季節の変化に敏感になる。

かなり宗教的なことを書いているが、冗談抜きでこれらのメリットがあったように感じている。

一方でデメリットは、以下の2つだ。

PCで行うはずのタスクの遅延、連絡の遅延

当然、パソコンやスマホじゃないと提出できない課題やExcelの整理などは取り組めない。

しかし、冷静に考えると今までの休日でロクに課題に向き合ったことはなかったので、デメリットはないに等しい。

PCでないと取り組めないと思っていたタスクも、意外と紙とペンを使えば途中までは進められる。読書の感想などはノートで取れば良いし、脚本を書く作業も、紙の方が捗った。

僕たちは電子機器で作業することを盲信しているが、紙とペンの効果は絶大である。特に、何か新しいプロジェクトを始める際は、すぐにパソコンを開くのではなく、まず紙の上で計画を立てたり、アイデアを出したりしてから取り組んだ方が効率が良いように感じた。

また、デジタル・デトックスをすることで得られる「退屈」は、ただつまらないだけではなかった。本来、人間は「退屈」である方が普通である。退屈すると、人間は退屈から逃れるために勝手に自分を楽しませようと妄想をする。アイデアを出す。

僕たちの脳は、自分で考えようとしなくても勝手に考えている。瞑想をやろうとすると、これが一目瞭然となる。「何も考えないようにする」ことはできないのだ。

しかし、常にコンテンツに触れていると、常日頃から考え続けている自分の脳みそと会話することができない。触れるのはいつも外部のコンテンツで、自分自身の思考を一向に可愛がれないのだ。

現代社会では、「インプットなしでは良質のアウトプットはできない」というが、あれには語弊があるように感じる。

インプットするだけではなく、一旦それを寝かせて「退屈になる」時間を設ける必要性がある。

移動時間にひたすらポッドキャストや読書、音楽や映画を観ていないだろうか?

To doのような感覚で、義務感のようにインプットをしていないだろうか?

インプット漬けの生活から生まれたアイデアは、君独自のアイデアではなく、本の内容を少しだけ言い換えたものになりがちである。

日常会話でも、自分の着想から話を展開することが減り、「この前あの本で読んだんだけど…」という枕詞がつくようになる。

もちろん、その行為自体は悪いことではない。だが、その生活を続けているといつの間にか自分で言葉を生み出すことを忘れて、ひたすら引用だけをする人間になってしまう。

インプットに追われるだけでなく、たまには退屈をする時間を作る。デジタル・デトックスは、想像以上にメリットがあった。休日に限らず平日も、できる限り時間を見つけてデジタル・デトックスをしようと思った。