これを書いているのは1月6日(土)の夜。元旦に能登で地震が起こって5日。
静岡に住んでいる自分は2011年を思い返すと当時と比べて驚くほど普通の日常を送っている。いいことか悪いことかわからない。テレビのニュースはあまり見ていないが、ラジオの報道、TBSラジオSessionやプレ金を中心に聴いてそこで話されていることを受け取っている。
Twitterをはじめとするインターネットを見ていて感じるのは、他罰的な意見を言うひとが増えたこと。コロナ前後の自己責任論がさらに加速していること。差別的な論調を言う人が増えたかはわからない。しかし、一部とはいえその一部の声が大きくなり、支持する層が目に見えるようになったと感じる。
2011年当時は専門学生でリーマンショック後の就職難により、“進級”という形で一年学生期間を延長する直前での地震だった。当時は津波の映像や原発事故の映像、計画停電により自分自身の生活に直接影響があったからだろうか。静岡に住んでいても今回よりも非日常の中に投げ入れられた感覚があった。
2011年の災害をベースに生きていると、13年間で幾度となく起きた地震やその他災害に対して数字が無意識とはいえ麻痺しているのを実感する。こういうことがある度に、北野武の「人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。」という言葉を思い出す。
いま自分に何ができるのか。といえば、少額なりの寄付や献血だろうか。寄付はまた色々団体を見てするとして、今日は献血に行ってきた。昨年末に通算50回目を迎え、今回は51回目。もはやいいことをしているというよりも趣味。2年ほど前からモグロビンの数値が基準値を下回ることが度々あり、毎回ドキドキしながら検査をする。今回は大丈夫。年が変わりいいスタートをきれた。
よく血管を褒められるくらいには見つけやすい血管をしているようで、毎回同じ場所に刺す。そこに定期的に針を刺しているのがわかるくらいに目印になっている。ここ最近以前よりも最初の痛みを感じていたのだが、スタッフの方にたまたま教えてもらったのが「針を刺すということは小さい傷を作るということなのでカサブタのように皮膚が硬くなる」ということ。だから針を刺すときに力が必要になるし、痛く感じる。らしい。どうりで。
献血センターに置いてあるDVDも飽きてきて今日は古畑任三郎の小堺一機回を見たのだが、若い小堺一機はかわいかった。そんな普通の日常を送っている。