わたしがいつも利用する電車は長くて4両、時間によっては2両編成といったおもちゃのような有り体である。車掌は居らず運転手のみのいわゆるワンマン運転、もちろん時刻表はスカスカで、一本逃せば次は良くて30分後、下手をすると一時間後といった様子だ。都会の人には信じられない話だろうが、わたしの居住する県には自動改札が一つしかない。あとは駅員が立っているか、立っていないかの二択である。立っているところも数えるほどで、要するに無人の駅がほとんどだ。いざとなれば切符を持たずに電車に飛び乗って、停車中に運転手から切符を買うこともできる。
そんなのんびりした路線の、それも平日の14時に時々乗ることがある。ドアはもちろん自分でボタンを操作して開け閉めするタイプで、始発駅で止まっている様子は冷暖房もほどよく効いた快適な空間である。ウトウトとする者あり、スマートフォンを覗くものあり、遅い昼飯を齧るものもあり、いかにも穏やかな時間が流れている。しかし、その日ばかりは様子が違った。二両編成の車内に乗客は私を含めて10人足らずが乗っていて、そこに運転手を加えれば完成のはずが、なんと運転手と同じ制服を着た人間があと四人も乗っている。みなが一様に分厚いファイルを持ち、真剣な眼差しで運転席を覗き込んでいた。どうやら試験のようだった。若い運転手はこちらが見て気の毒になるほどまっすぐに腕を伸ばし、めいいっぱいの声を張り上げて一つ一つの計器を指さし確認していく。「○○、よしっ!」という成人男性渾身の大声によって車内の空気に緊張感が漲っていくのが分かる。運動会の選手宣誓のようにどこか強い使命感と悲壮感に満ちた声に、隣のおばさんとチラリと視線があった。「張り切っちゃってよお」「初めてだからでしょう。なあに最初だけですよ、あんなの」隣で知らないおじさん同士が短く笑いあう。意地が悪いなあ、と思って鼻を鳴らすが、ピンと背を伸ばした運転手はそんな声などまるで聞こえていないように確認を続ける。おじさん達もそれきり黙って、じっと運転手の挙動を見守っていた。ヘッドホンをした高校生も横目で運転席を見ている。気づけば車内からは音が消えていた。監督官とおぼしき人がペンを走らせる音だけが聞こえてくるようだった。運転手の確認の声はいよいよ間隔をせばめ、指さし確認も短く早くなっていく。一際大きなヨシ、の後に電車は車体を軋ませ、ゆっくりと動き出した。ふと、乗客同士のこころがひとつになった気がした。
その時、わたしの心に浮かんでいたのは暗い赤の血で満たされた採血管だった。看護師として就職して初めて患者さんの採血をした時の記憶。学校ではシリコンで出来た模型に針を刺して練習をしていたが、実際に人間に針を刺すのは初めてだった。相手がどんな患者さんだったか、一度でうまくいったのか失敗したのかは覚えていない。ただベッドを仕切るカーテンがクリーム色で患者さんの寝衣は薄黄色で、採血管がほのかに温かかったことを覚えている。
私の隣に座っていたおばさんも、意地悪そうに笑ったおじさんも、ヘッドホンをした高校生も、自分の中にある思い思いの「初めて」の瞬間を思い出していたのだと思う。
電車は無事に走り出し、いつもよりも滑らかにカーブを曲がった。