つくづく自分が捻くれ者だと認識させられるんだけど、何故そうなったのかは説明できる。でもやめられない自動思考。
という投稿が長くなりそうだったので静かなインターネットに移行します。
一緒に夜勤をしているおじさんにここ数日「体調は大丈夫ですか?」と話しかけられる。
本人的には「いいお天気ですね」くらいの軽さの「夜勤大変ですよね」の意図を含んだ会話のきっかけ作りだということは理解できるので「はい、問題なしです。」なんて軽く返事はするのだけど、内心とても嫌な気持ちになる。
体調問題ないならしっかり仕事できるよね、ミスしないでね、今僕はあなたの体調を確認したから体調不良だったなんて言い訳できないからね。そんな言質取られにきているような感覚だったりする。
せっかく同じ現場で同じ仕事をしているのだから、できれば会話でもして相手を知ろうとしているという意図も頭では分かってはいる。
それでもそんな思考が出てきてしまう。それは、昔そういった経験を何度もしてきたから、どうしてもそちらの意図でまず身構えてしまう癖が残ってしまっている。
そういう人との関わりの中で発生した感情に今回みたいな歪んだものがあったとしても、人と関わり続けることでサンプル数が増えて、段々均衡がとれていくんだと思う。
「言質をとりにきたんじゃなくて単に会話をしたがっていただけだった」という経験の方が多くなっていけば、そんな思考が浮かばずに嫌な気持ちにならずに居られるようになるかもしれない。
でもそれを怖がってしてこなかったわたしの課題なんだと理解している。
集団の中で自分から和の中に入ることがないわたしにわざわざ話しかけてくる人というのは、わたしとコミュニケーションをとろうとしているというよりは何かしら自分にとって得になるものを得ようと寄ってくることが多かった。
女性であれば“何か噂や笑い話のネタになりそうなものを引っ張り出してやろう”か、依存先として擦り寄ってくるかの2パターンが多かった。男性であれば下心だった。
大人だったら“可哀想な子どもを助けてあげる優しい私”に酔っている人や、治療の名目で親にお金を出させようといい顔して近づいてくる営業目的か。
何かとても毎日が苦しくて包丁をお腹に刺して死のうとしたり家出したりとんでも小学生だったわたしなんだけど、それを止めて号泣した伯母の第一声は「お母さんにわたしが怒られるじゃない…!!」だったから、なるほどそっちかぁなんて思ったりしていた。
そういった人達はわたしを貶めてやろうとか傷つけてやろうとか悪意をもって接触してきているわけでなく、自分や自分側のことしか考えていないだけなのだと気づいた。
みんな、自分勝手に生きているものなんだなぁ、と理解した。
それを受け入れられない自分のまま生きていて、勝手に傷ついている。
それだけなんだ。
そしてたまに、わたし自身に興味を持ってくれたりわたしのことを尊重してくれる人が現れて何度も救われてきた。
出会ってきた人を考えるととても少ないのだけど、その人達にもらう言葉達を集めて感情のサンプル数を増やしていきたい。